亡くなった人に会えた京都の山祭り 2/2
実家にいる頃、
いつも見ていた人。
写真立ての中で笑っている、
俺と面差しのよく似た青年。
俺が2歳の時に亡くなった父だ。
まっしぐらに、
父に向かって進む母を、
踊り手たちは空気のように
するりとかわし、
何事もなかったかのように
踊り続ける。
一足ごとに母の時間が
逆戻りする。
わずか3年余りの妻としての日々と、
その何倍もの母としての時間。
今、父の手を取りながら、
母は堰(せき)を切ったように
しゃべり続け、
父は黙って微笑みながら、
時折相槌を打っている。
二人の間に涙はない。
何を話しているか
俺には聞こえないが、
きっと言葉で時間を
溶かしているのだろう。
時を越え、
両親は恋人同士に戻っている。
初めて見る両親の姿。
ああ、父はあんな風に
笑う人だったのか。
母はあんな風に
はにかむ人だったのか。
これだけの歳月を隔て
まだ惹かれ合う二人に、
思わず胸が熱くなる。
父に誘われ、
母が踊りに加わる。
なかなか上手い。
本当に楽しそうに踊っている。
俺の頭の中で太棹が鳴り、
太夫の声が響く。
・・・おのが妻恋、
やさしやすしや。
あちへ飛びつれ、
こちへ飛びつれ、
あちやこち風、
ひたひたひた。
羽と羽とを合わせの袖の、
染めた模様を花かとて・・・
両親の番舞をぼーっと
眺めていたら、
ふと俺の事を思い出したらしい母が、
父の手を引いて
こっちへやって来た。
ほぼ初対面の人に等しい父親に、
どう挨拶すべきか。
戸惑って言葉の出ない俺を、
おっとりとした弟と
雰囲気の良く似た父は、
物も言わずに抱きしめた。
俺より随分ほっそりしているけれど、
強く、温かい身体。
父親ってこんなにしっかりした
存在感があるのか。
父「大きくなった・・・」
万感の思いのこもった父の言葉。
気持ちが胸で詰まって
言葉にならない。
ようやく絞り出せた言葉は、
俺「父さん・・・」
父「うん」
優しい返事が返って来た。
もう限界だった。
俺は子供のように
声を放って泣いた。
母の事を笑えない。
気が付けば、
俺は夢中で父に、
友人や仕事の事などを
一生懸命に話していた。
今までは、
そんな事は自分の事だから
他人に話しても分かるまい、
と思い込み、
学校での出来事さえ、
必要な事以外は母に
話さなかったのに。
父の静かな返事や一言が
嬉しかった。
子供が親に日々の出来事を
全部話したがる気持ちが、
初めて分かったような
気がする。
俺の話が一段付いた時、
父は少し寂しそうな顔をした。
父「・・・ごめん。
もっと一緒にいたいけど、
そろそろ時間みたいなんだ」
時は歩みを止めてくれなかった。
でも、嫌だと駄々をこねた
ところで詮無い事。
大事な人に心配をかけるだけ。
ああ、分かっている。
笑って見送ろう。
父「口惜しいよ、
おまえたちの力になって
やれなくて・・・」
俺「大丈夫、任せろよ。
俺がいる」
長男だもの。
俺は親指を立て、
父に向かって偉そうに
大見得を切った。
安心したように頷く父に、
母がとても優しい眼差しを向け、
父が最上級の笑顔を返す。
父「・・・じゃあ、
そろそろ行くよ」
父は、踊りの輪の方を向いた。
俺「父さん!」
呼びかけずには
いられなかった。
父が振り返る。
俺「俺、二人の子供で良かった」
本当にそう思った。
父は嬉しそうに笑い、
そのまま煙のようにすうっと
姿を消した。
母はしばらく無言で父が姿を
消した辺りを見つめていたが、
やがて諦めたように首を振り、
「帰りましょう」と俺を促した。
翌朝、
まだ眠っている母を
部屋に置いて、
奥貴船橋の袂まで
行ってみた。
昨夜の橋の袂を
くっと左へ折れ、
山の中へ入る細い道は、
やっぱり無かった。
あの老人が言っていた。
山祭りは時が合わねば
成らないのだと。
それは俺たち親子が見た幻
だったのかも知れない。
でも、逢いたい人に会え、
伝えたい事を伝えられた。
幸せな旅だった。
(終)
きれいなお話でした。ありがとう。