台風の被害に遭った山林に出かけた夫が・・・
これは、とある村で暮らす中村さん(仮名)の身に起きた話。
大きな台風が村を直撃し、山林に甚大な被害が出た。
中村さんが所有する山も例外ではなく、樹齢150年近いヒノキのほとんどが倒れてしまった。
先祖代々手入れをしてきた山林がほぼ全滅してしまい、すっかり意気消沈した中村さんは、それっきり山に入る気にもなれず、昼間から飲んだくれていることが多くなった。
運がなかった?それとも・・・
それから半年以上の月日が経ち、周囲の山もだいぶ後片付けが済んでくると、さすがの中村さんも山をこのまま放っておくのはマズイと思い始めた。
なにより、世間体が悪い。
それに倒木とはいえ、樹齢150年のヒノキだ。
売れば、後片付けの代金を差し引いても、手元に幾らかのお金が残るかもしれない。
そんなある日、中村さんは「ちょっと山を見てくる」と言い残して家を出た。
しかし、ちょっとのはずが夜になっても帰って来ない。
中村さんの奥さんは、「どうせ、どこかで飲んだくれてクダを巻いているんだろう」と、のんびり構えていたが、翌日の昼になっても戻って来なかった。
さすがに心配になって方々に電話をかけたが、昨夜はどこにも顔を出していない様子。
そこで、奥さんと近所の男数人が連れ立って、山に向かうことになった。
件の山に近い林道の端に、中村さんの軽トラックが乗り捨ててあった。
歩道をしばらく歩くと、やがて視界が開けてきた。
辺り一面に、大きな木が根こそぎ倒れていた。
150年もの間、成長を続けたヒノキの根っこは、大人の背丈よりも遥かに高く、奇怪な姿を地上に晒している。
それぞれが土を抱えたままひっくり返っているので、そこかしこにクレーターのような穴が空いていた。
そんな荒れ果てた光景の中で、一本の巨木が天を衝(つ)くように立っていた。
よく見ると、昨日からの強い風に吹かれて、ぐらりぐらりと揺れている。
ちょっと奇妙な動きに男達が恐る恐る近寄ってみると、揺れる度に根っこが地面から浮き上がっているのが分かった。
その浮き上がった根っこには手拭いが引っ掛かっていて、それを掴もうとするかのように白い手が根っこの隙間から伸びていた。
数人がかりで揺れる木をワイヤーで引っ張った末に、ようやく根っこの下から中村さんの遺体を回収することができた。
その頃には皆、中村さんの身に何が起こったのかは何となく見当がついていた。
おそらくこうだろう。
木は倒れたまま放っておくと、葉から水分が蒸発して乾燥が進む。
これを利用して木を乾かすのを『葉枯らし』と言って、山では普通に用いられる手法だ。
木は乾くと軽くなるが、その割合は幹の先端へいくほど大きくなる。
すると、根こそぎ倒れたまま放ったらかしにされたヒノキは、次第に重心が根っこの方へ移っていくことになる。
そうやって半年が過ぎるうちに、大きなヒノキは再び立ち上がるかどうかの瀬戸際にあったのだろう。
そこへ昨日、中村さんがやって来た。
現地で倒れた木々を見て回っていた中村さんは、持っていた手拭いを強い風にさらわれ、それは微妙なバランスを保っていたヒノキの根っこに引っ掛かった。
中村さんは引っ掛かった手拭いを取ろうとして、背丈よりも高い根っこに登り上がり・・・。
「あの人、とことん運がなかったのね」
葬儀の席で、中村さんの『前』妻は周囲にそう漏らしたそうだ。
前妻は現在、中村さんの遺体を見つけた時に側にいた男の妻になっている。
本当に、とことん運がない中村さんだ。
(終)