見る目があれば金には困らないが・・・
これは、『石』にまつわる奇妙な話。
昭和の終わり頃まで、河原から石を拾ってきては、それを道端で売って生計を立てるという人がよくいた。
そういう人たちは一体、どうやって”災い除け”をしていたのだろうか。
私の実家の近くにも、毎日一人で石を並べて稼いだお金で建てた石御殿と言われる家があるが、当人が生きているうちに話を聞いておけば何か興味深いエピソードが発掘できたかもしれない。
これは四国出身のある人の話だが、身近にその『石拾いビジネス』をやっていた男性がいたという。
すでに彼は鬼籍に入っているが、なかなか面白い話を聞けた。
彼は高額で売ることのできる石を求めて深山幽谷に分け入り、石によるもの以外にも、その場所でも様々な怪異に遭遇したとのこと。
四国は東西に何本も断層があり、それを境にして東西に帯をなして異なった地質体が分布しており、そのおかげで色々な石が採れるのだそう。
花崗岩(御影石)、三波川の緑色岩、珪石(チャート)、火山岩、砂岩、泥岩、石灰岩、それに化石もたくさん見つかったという。
「見る目があれば金には困らんけんねぇ。山でおかしなもんに連れて行かれなんだら大丈夫よ」
それが彼の主張だった。
そんな石拾いビジネスをしていた彼によると、珍しい石や形の良い石は庭石として売れたり、石を愛でる愛石屋が高額で買い取ってくれるのだそう。
墓石は流通機構と石種が確立しているので、商売にはならないと。
山奥から持って帰れるようなサイズの石を選ぶそうだが、大きなものは木で作ったソリで引きずって、何日もかけて運んだという。
ただ、苦労して持って帰っても売れないと無駄になるので、そのようなことはそれほどなかったとか。
重い道具もほとんど持って行かず、長い金属の棒(バール)と石頭ハンマー、楔(くさび)くらい。
それに、基本的に石は割らない。
価値が下がるからだ。
足回りはゲートルを巻いて、地下足袋に自分で編んだ藁草履を履いていた。
そうすると沢の濡れた石の上でも滑らないとか。
藁草履はすぐに腐ってダメになるので、数を編んで予備を持って行くこともあったという。
ちなみに、食料と資材調達は現地でするのが基本だ。
呪われてしまう石など、悪い石はなかったの?と聞いてみたこともあったらしい。
石拾いビジネスをしていた彼曰く、「そのような石もある」と。
ただ、「手を出さないようにすること。手を出していたら今のワシはおらんかったけん」ということだった。
どんな石が悪いのか?との問いには、「その場所には普通に見られる石の種類があるが、それらとは全く異なって1つだけぽつんと異質な石が転がっていることがあり、それには注意せよ」と。
これについては、彼もさらに年配の先達から聞いたそうだ。
色は関係なく、表面の状態も関係ないが、何か脂ぎっている石というのがあり、それも危ないのだという。
どう危ないのか?との問いには、現象は様々だった。
持って帰る時に山の中で行き倒れて死んでいたり、持って帰った後にも本人や家族が不審死したり。
また四六時中、石が喋りかけてきて発狂したり、石を売却しても貰ったはずの代金がいつのまにか消失していたり、それを購入した人が間もなく死んだり。
他にも、石を拾ってきた人の家の前を通りがかった通行人が死んだり。
そういった普通では説明のつかない死が多々あったという。
(終)