未練を残して亡くなった同僚の妻
会社の同僚が、癌で奥さんを亡くした。
学生結婚で結ばれて、10年以上連れ添った奥さんが癌を疾病した時は大変な落ち込みようで、彼を見るのが辛いほどだった。
天然気味で明るかった彼は、奥さんの病症の進行と共にみるみる憔悴していき、30そこそこなのに白髪だらけで日毎に精気を失っていった。
入院から1年近く経った頃、癌も末期でいよいよと言う時、彼は会社を休んでまで病院へ通い妻の世話を甲斐甲斐しく続けたのだとか。
それから程なくして奥さんは他界。
その後の彼はかなりの情緒不安定で、会社のデスクでいきなり泣き出したり、無断の遅刻があったりと腫れ物の問題児だった。
が、当時の部長が人情家ということもあって、周囲が暖かく彼のフォローに努め、彼の社会復帰のリハビリを手伝った。
俺も何度か彼を飲みに誘っては、彼の愚痴というか思い出話を聞き、酒を酌した。
その時に聞いた話で、今も鮮明に覚えている事がある。
やっぱり死んでればよかった
死を目前にした奥さんがモルヒネで朦朧とした中、絶叫気味にそれでも何かから逃げるようにベッドでもがきながら、「あなた、私死にたくない。赤ちゃんが欲しいのに。死ぬのは嫌だ。あなたと別れたくない。お願いだから一人にしないで。あなたも一緒に、一緒に死んで」と言ったそうだ。
彼も奥さんの意をくみ、手を握って「もちろんだよ。君無しじゃ僕も生きていけない。君が逝く時は僕も一緒に逝くよ」と答えたのだとか。
その時の彼も、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして酒を呷(あお)りまくっていた。
俺は彼のことが心配になって、「奥さんの望みは君の幸せだよ。自殺なんか望んじゃいないよ。気をしっかり持って」みたいな、常識人めかしたうわべだけの慰めを言った。
それから時が経ち、周りの気遣いも奏してか、彼も正常に戻りつつあった。
そんな折り、とある中途採用の社員の歓迎会に参加した時のこと。
彼の横にちょこんと座る可愛い女の子がいた。
名前は香織ちゃん(仮名)。
聞くと、隣の課の派遣さんで、その彼とは最近良い雰囲気にあるらしいとか。
あんなに想い合った男女でも時が経てば忘れられるのだな、と俺も少し白けたのを覚えている。
数ヶ月後、その彼と彼女が結婚に向けて準備中という話を課の人間から聞いた。
聞けば、出来婚なんだとか。
「ほ~そいつは良かったね」
「めでたいね」
「やるこたあやってたのね」
「まあでも良かったじゃないの」
「色恋の傷は新しい恋愛が一番の薬だよ」
「子供出来ちゃったか」
「これで彼も一層張り合い出て頑張れるでしょ」
・・・・・・
・・・・・・
なんて噂をし合っていた。
彼女も派遣期間が終わり、しばらく親元に帰ると言うので退職していった。
それから数日後、突然彼が会社を休んだ。
その日の午後に部長から、「彼の許嫁である香織ちゃんが交通事故で亡くなった」と報告があった。
聞くと、親御さんが里帰りする香織ちゃんを空港へ迎えに来て、実家へ帰る途中にダンプに追突され、親御さんもろとも亡くなられたとか。
社内は騒然とした。
「これは奥さんの呪いでは?」などと口さがない噂を言う者もいたが、事情が事情だけに語られることをはばかられ、俺らは無理矢理気味に平常運転を続けた。
彼はほとほと嫌になったのか、あるいは多大なる心労からか、上司と相談し会社を辞めることになった。
その数日後、俺は日帰り出張から遅く社に戻ると、大半の電気が落ち切った社内に彼が一人デスクで身辺整理をしている姿があった。
無視を決め込もうかと思ったが、そんな訳もいかず、彼のところへ行き「大変だったね。もう本当に言葉もないけど・・・」と言う俺の言葉を遮り、無表情で「○○さん、あの時俺に言いましたよね。彼女は俺の自殺は望んでないって。本当にそうだったんですかね?じゃあ何で香織ちゃんまで連れていくんですか。俺はあの時死ぬつもりだったんです。やっぱり死んでればよかった」と淡々と言った。
俺は顔面蒼白になり、いたたまれなくなり、「俺、ちょっと人待たせてるから」とその場から逃げるように立ち去った。
その日は本当に眠れなかった。
理不尽な八つ当たりと言うのか、いわれのない呪いをかけられたように重い気分になり、無理やり酒を飲んで酩酊して倒れ、嫌な夢でうなされた。
夢の中で彼の言う通り、奥さんは本気で彼の死を願っており、彼の裏切りとも言える出来ちゃった再婚を許せなかったのではなかろうか。
そして、香織ちゃんの事故は奥さんの呪いで、彼に対する罰なのではなかろうか、と半ば信じるようになっていた。
翌朝めっちゃくちゃブルー入りながら会社へ行くと、彼の机は綺麗に整理してあり、俺は出張の報告書が出来ていないと課長に怒られた。
彼は今、某宗教団体の活動に熱心だと聞いた。
(終)