亡き友が最後にくれた「次、行け」

静かな海のサーフィン

 

一昨年、友人が亡くなった。

 

そしてその少しあと、誰もいないはずの海で、私は確かに彼の声を聞いた。

 

彼はサーフィン仲間で、いつも一緒に海に入ってはナンパをしたり、時には将来のことを真面目に朝まで語り合ったりする、本当に気の合う友人だった。

 

葬式は本人の意思もあって、親御さんと親族だけの、ひっそりとしたものだった。

 

ただ、親御さんの希望で、なぜか友人代表のような形で、私だけが参列することになった。

 

その時に親御さんから、「あいつの遺品やけど、ぜひ君に持っていてもらいたくて」――そう言われ、波乗り日記と、新品のロングボードを譲り受けた。

 

波乗り日記には、その日の波のコンディションや、良い波が立ったポイントなどが、ほぼ毎日、驚くほど丁寧に書き込まれていた。

 

大雑把な性格だった彼からは想像できないほどだ。

 

そこには、私の名前が書かれている日もあった。

 

彼の死因は、海中での頭部打撲による失神からの窒息死だった。

 

夕方、1人で海に入り、パーリング(ボードから落ちること)してしまった際、自分のボードが頭に当たり、そのまま意識を失ったらしい。

 

ただ、亡くなる前日の波乗り日記だけは、いつもと様子が違っていた。

 

普段は箇条書きで5行ほどの内容が、その日は4ページにもわたって、海への思いがびっしりと綴られていた。

 

そして最後に、3行だけ、私に向けたような言葉が書かれていた。

 

『○○とは話が合わない。○○は自分の考えの中でしか生きていない。あいつはあのままじゃだめだ。あいつはもっと旅をしたほうがいい。とてもいいやつだから特にそう思う。今度あったらじーっくり説教。』

 

原文のままだ。

 

読んだ瞬間、思わず苦笑いしてしまった。

 

前日、ちょうど彼とサーフィンに対する考え方で大口論になっていたからだ。

 

口論は人生論にまで発展し、「二度とおまえとは海には入らん!」そう吐き捨てて、その夜は別れた。

 

いつもなら彼のほうが折れるのに、その日は違った。

 

絶対に引かず、食い下がってくる。

 

私も完全に頭に血が上っていた。

 

その夜はふて寝したが、朝になると冷静になり、反省していた。

 

夜に電話して謝ろうと思っていた。

 

――なぜ朝すぐに電話をしなかったのか。

 

今でも、それだけが悔やまれる。

 

日記を読み終えたあと、しばらく何も考えられず、気づいたときには号泣していた。

 

衝動的に言った言葉とはいえ、もう二度と彼と一緒に海に入れない。

 

そう思った瞬間、涙が止まらなくなった。

 

次の日も仕事を休み、早朝から海へ向かった。

 

供養のつもりだったのと、「もしかしたら、今も海にいるんじゃないか」――そんな柄にもない考えが頭をよぎったからだ。

 

謝りたくて、彼の新品のロングボードを持って海に入った。

 

「早く乗りてー!」

 

そう言っていたのに、一度も乗れなかったロングボード。

 

遺品として飾っておくべきか迷ったが、代わりに一度だけ、乗ってやろうと思った。

 

沖に出て、ボードにまたがり、「ロング借りるよ」と。

 

次に、「ごめん」と、つぶやいた。

 

波には乗らず、ただぼんやり浮かびながら、口論のあと、いつも気まずそうな私に、「次、行け!」と笑いながら声をかけてきた彼の姿を思い出していた。

 

そのときだった。

 

はっきりと、後ろから「次、行け!」という声が聞こえた。

 

驚いて沖を見ると、完璧なタイミングで、良い波が立っていた。

 

無我夢中で波に乗った。

 

涙が止まらなかった。

 

とても長い時間、波に乗っていた気がする。

 

空耳だろう、罪悪感がそう感じさせたんだと、苦笑いした。

 

だが、また「次!」と声がした。

 

さらに、後ろからボードを押されたような感覚まであった。

 

今思えば、幻覚だったのかもしれない。

 

それでも、あのとき確かに声は聞こえ、感覚もあまりにリアルだった。

 

だから私は、勝手にこう思っている。

 

許してくれたんだな、と。

 

なんだか、一番きつい説教を、最後にもらった気分だった。

 

(終)

AIによる概要

この話が伝えたいのは、大切な人との喧嘩やすれ違いは、「また今度」で済ませているうちに、突然もう取り戻せなくなることがあるということです。

語り手は、友人にきつい言葉をぶつけたまま謝れず、その直後に相手を失ってしまいます。その後に残ったのは、「あのとき素直になれていれば」という強い後悔でした。

海で聞こえた声や、背中を押されたような感覚は、本当に起きた出来事だったのか、心が見せたものなのかは、はっきりしません。けれど語り手にとって大事なのは、それが友人からの「もういい、前に進め」という合図のように感じられたという点です。その体験によって、語り手は自分を責め続けるだけの時間から、少しだけ抜け出すことができました。

つまりこの話は、怖い話や不思議な体験を語りたいのではなく、後悔を抱えた人が、それでも生きていくために気持ちの整理をつけていく体験談です。「言い争ったままでも、相手を大切に思っていたことは消えない」「許しは、相手から与えられる場合もあれば、自分の中で受け取るものでもある」――そのことを、静かに伝えています。

一言で言えば、大切な人には、言えるうちに気持ちを伝えよう。そして、間に合わなかった後でも、人は前に進むことができるという話です。

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