橋の向こうのかっぱえびせん

これは、私が大学生の頃に体験した話です。
本当に不思議な出来事でした。
よくある『虫の知らせ』のようなものかもしれませんが、私にとっては大切な思い出です。
私は京都の大学に通っていました。
実家は隣の県にありますが、大学までは電車とバスを乗り継いで片道およそ4時間かかります。
そのため、私は学生専用アパートの1階の部屋で1人暮らしをしていました。
葵祭ももうすぐ、というある日の深夜……。※葵祭(あおいまつり)は、京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で毎年5月15日に行われる例祭。
窓をノックする音で目が覚めました。
見ると、窓の外にばあばあちゃんが立っていました。※ばあばあちゃん=曾祖母。ばあちゃんのさらに上の意味です。
驚いて窓に近づくと、ばあばあちゃんはこう言いました。
「女の子が、カーテンも閉めんと寝て、ほんまに!」
えっ……カーテンは閉めたはず。
というか、1階だから普段からあまり開けないのに……。
そう思いながらも私は、「待って、玄関を開けるから」とばあばあちゃんに言って、玄関へ向かいました。
部屋に入ってもらい、2人で話をしました。
曾祖母「1人で来てん」
私「えっ?こんな時間に?いつ着いたん?」
曾祖母「さっき」
私「ウソや。こんな時間、電車ないやん。葵祭に来たん?」
曾祖母「カナに会いに来てん」
私「えっ?そう……なんや……」
しばらく話をしたあと、ばあばあちゃんが急にこう言いました。
「かっぱえびせん、買うてあげよか?」
「夜中やし、明日でええよ」と私が言うと、「今から行こ。コンビニやったら開いとるわ」とばあばあちゃん。
そしてなぜか、歩いて3分もかからない下鴨神社前のコンビニではなく、歩いて10分ほどかかる出町柳のコンビニへ行くことになりました。
ところが、橋を渡ればコンビニというところで、私のサンダルのストラップが切れてしまったのです。
するとばあばあちゃんは、「カナはこっちにおって」と言って、1人でコンビニへ向かいました。
橋を渡っていくばあばあちゃんの姿を見ていると、なぜだか涙が止まりませんでした。
「ばあばあちゃん!行かんといて!!」
気がつくと、私はアパートの布団の中で寝ていました。
「なんや……夢やんか……」
その日の夜、実家から電話があり、ばあばあちゃんが亡くなったと知らされました。
ばあばあちゃんは、あちらへ行く前に、私に会いに来てくれたのだと思います。
(終)
AIによる概要
この話が伝えたいことは、人と人との深い絆は、たとえ距離があっても、あるいは生と死を越えてもつながっているのだということです。曾祖母との間にあった親密であたたかな関係が、夢というかたちを通じて最後の再会として現れた出来事は、ただの偶然ではなく、心と心が呼び合った結果だと感じさせます。
夢の中で交わされた自然な会話や、いつものように叱ってくれる曾祖母の姿からは、彼女の変わらない愛情がにじみ出ています。そして、橋を渡って遠ざかっていく曾祖母の姿と、それを涙ながらに見送る「私」の描写は、別れの象徴でもあり、深い喪失感とともに、温かい記憶として心に残るものです。
この話は、「亡くなる前に大切な人が会いに来ることがある」という不思議な感覚とともに、そのような出来事をただの迷信や夢で済ませず、自分にとってかけがえのない思い出として大切にしている、語り手の心のあり方を静かに伝えているのです。
































