格安で借りれたワンルームマンションで
東京に住んでいた頃の話。
中野で賃貸住宅を探していた。
結婚したばかりの妻がいて、
同居人可のところを探す必要がある。
さらに、
ペット(本物の鷹)がいるので
ペット可のマンションを探さなければならず、
しかもペットがペットなので、
部屋探しは難航していた。
そんな中、
ある不動産屋でペットの件を相談したら、
色々探す中、
はっと気づいたように、
「ここ、どうですか?」
と聞いてきた。
「鷹、いいんですか?」
「ええ、大家さんはいいって言ってます」
「鳥だから結構汚れますよ?」
「大丈夫です」
「同居人は?」
「狭くても結構でしたら」
6畳とキッチンとユニットバスの
ワンルームで5万円。
私鉄の駅まで3分の好立地。
ワンルームとはいえ、
これで同居人とペット可は本当かと疑ったが、
どうも本当らしい。
妻と一緒に見に行くことになった。
場所は全く問題なく、
建物も異常ない。
以前に安いアパートを探している時に
裏がすぐ墓場という事もあったが、
そういったことも無い。
(この時はペット不可だった)
至って普通の建物だった。
コンクリート3階建ての2階。
「ここってやっぱり、みんな、
犬とか猫とか飼ってますよね?」
鷹を飼っているので、
傷つけても傷つけられても困る。
一応、確認してみると、
「いえ?誰も」
「え?ペット可じゃないんですか?」
「ええ、本当は違うんですけど・・・」
「大丈夫なんですか?
黙って飼っていて、
見つかったら出てけじゃ困るよ?」
以前にそういうことがあった。
「ええ、大丈夫です。
大家さんはいいって言っています」
なんだかよくわからないが、
いいって言ってるんならいいか・・・
2階に上がると、
廊下を挟んで両側の向かい合わせに
部屋が並んでいる。
廊下を照らす室内灯が、
やや暗く感じた。
ん?廊下に何か・・・
足跡か?
不動産屋の若い男の説明をよそに、
『ソレ』に釘付けになった。
緑のフロアタイルに、
裸足の油が付いたような足跡が残っている。
それだけなら特に不思議ではない。
しかし、
足跡の形と位置がおかしい。
説明が難しい。
全体は女の爪先立ちに最も似ているが、
指の数が親指も含め4本。
数が合わない。
犬でもなく猫でもない。
その他、知っている限りの
あらゆる生き物とも異なる。
人間の女の足で指が足りない。
それ以外に考えられない。
それがちょうど踵を浮かせて、
さらに踵方向を合わせる形で1セット。
これが交互に前と後ろが逆になりながら、
奥の部屋へと続いていた。
目が点になった。
元々は鷹以外にもいろんな動物を
扱う仕事をしていたので、
動物には結構詳しい。
が、どんなに頭を捻っても、
この足跡の答えが見つからない。
しかし結局は、
安さと便利さには勝てない。
これから先もすぐにペット可の物件が
見つかる保証もない。
そもそも、
これまでに相当の時間が掛かっている。
今のアパートも、
すぐに出なくてはならない。
ここならベランダも広く、
鷹を置くスペースも申し分ない。
結局、即決という形になった。
そのマンションに越した初日の夜、
異変があった。
電灯を消すと、
3階で走り回る音がする。
3階は以前に大家が住んでいたが、
今は誰も住んでいないはず。
歩幅と走り方などから、
子供の足音のようだ。
なぜ大家がここを出て近くに移り住んだのか、
まったく知りえない。
何かがあったのか・・・
電気を点けると、音は静まる。
消すと、音がする。
その日はそれで終わった。
その後、鷹を連れてくると、
異様なことは起こらなくなった。
しばらく住んでいると、
いくつかわかってきた。
まず、住人はうちの部屋を含め、
3部屋しか入っていない。
うちと向かいの部屋には、
若者の男が一人。
音楽をやっているようで、
たまにロックが聞こえる。
そして一番奥、
足跡が続いている部屋には、
中年の男が一人。
特におかしいところもない、
普通のおじさんだ。
ただ、帰らない日が多い。
部屋数は6部屋あるが、
残りは会社の倉庫や空き部屋の様子。
足跡は定期的に付いている。
というより、
月に何度か業者が掃除に来るので、
その時に足跡は消え、
いつの間にかまた付いている。
いつしか、足跡があっても
特に気にならなくなっていた。
ある冬の日、
鷹の訓練のために深夜の2時頃、
玄関口で鷹を手に乗せていた。
(『鷹狩り』というものをご存知であろうか?
その訓練の中に暗い部屋で手に乗せる、
というものがある)
6畳間は妻が寝ているし、
外は寒いので玄関口で座って訓練する。
廊下の照明は防犯のために
一日中点いているので、
ドアの小さなのぞき窓からは
微かに光が差し込んでいる。
それ以外はほとんど闇の中だった。
ふと見ると、
鷹がドアの方を凝視している。
鳥は暗い中では何も見えないので、
普通はじっとしているし、
それが訓練になるのだが、
その時は違った。
ただ一点、
ドアに向かって睨みつけるように
集中している。
そして腰を落とし、
口をやや開きながら
威嚇の姿勢を取り始めた。
これは何かある・・・と思った刹那、
のぞき窓の光がすうっと消えた。
それまでに何度か
この訓練は続けていたので、
深夜に若者が帰って来ても、
その足音や光の加減で、
それが人間というのは判断は出来た。
鷹もちらりと一瞥することはあっても、
凝視などしたことは無い。
これは違うぞ、『アレ』だ、
足跡のヤツだ・・・
直感的にそう感じた。
光の動きの様子から、
部屋の前でじっとしているのでは
ないことがわかる。
移動している。
音は無い。
感覚としては、
襖くらいの高さのゾロゾロとしたものが、
廊下を通っている感じ。
その証拠に、
鷹の頭も少しづつ横に動く。
冷や汗が噴き出す。
背筋が凍り続ける。
見たい・・・
いや、それはいけない、
と鷹の様子が知らせる。
緊張の時間が続く・・・
ふっと、光が戻った。
しばらくは動けなかった。
鷹も落ち着いた頃、
ほんの少しだけドアを開けて廊下を見た。
最後に見た時には無かったはずの足跡が、
生々しくそこにあった。
後日、
霊が見えると自称する数名に
この話をすると、
皆一様に「もう話さないでくれ」、
と話を遮られた。
その後は半年ほどそこに住んで、
田舎に引っ越した。
あの足跡の主はなんだったのか?
何の為にあの部屋に出入りしていたのか?
その部屋の中年の男は一体・・・
今思い出しても背筋が凍る。
(終)