地下鉄サリン事件が起こった日に
あれから時もたいぶ経ったので、
そろそろ話してもいいかも知れない・・・
地下鉄サリン事件の時、
当時そのことを知らなかった。
私はオウムに拉致監禁されていて、
第7サティアン横の独房に
入れられていたからだ。
信者でもないのに拉致監禁された私は、
当然いたぶられた。
見せしめにと、
他の人が逆さ釣りにされて
竹刀で叩かれながら死んでいく姿を、
見せられたりもした。
私もいたぶられて仮死状態になり、
死体部屋に入れられたこともあった。
死体部屋で息を吹き返した後、
狭い独房に入れられた。
『ポア=惨殺』
ということも知らなかった。
周りが一人、また一人と、
ポアの儀式に呼び出されては、
二度と帰って来なかった。
『ポア=破門』
と聞かされていたから、
監禁から解放されて家に帰れるものと
ばかり思っていた。
そして、
サリン事件が起こったあの日、
私にもやっとポアの儀式の順番が
回って来た。
独房のドアの向こうから、
「今からポアの儀式だから!
10分で私物まとめといて、
すぐ出られるようにして!」
と言われて、
起きてすぐ荷物をまとめたんだけど、
顔は寝腫れしているし、
髪の毛はまとまってない。
「10分じゃ無理!
なんで急に言ってくるんだよ!」
と怒鳴り返したら、
「じゃあ、いい。
あなたはまた今度。
はい、じゃあ○○さん、
10分で荷物まとめて!」
と私のポアは延期に。
代わりに、
隣の独房の男の子が呼ばれ、
出て行った。
その2日後に強制捜査が入って、
私達のような信者でない被害者達が
救出された。
信者はシャバ(世間)に出るのを怖がり、
自ら居残った。
あの時、
素直に10分で支度し従っていたら、
私はどんなポアをされたんだろうか。
救出の日、
第7サティアンで拾った腕時計を、
今も持っている。
格闘の痕なんだろうか、
枠や表面のガラスがガジガジに
傷だらけになっていた。
今はまだPTSDを克服出来ず、
遠くに富士山を見るだけで、
頭痛や目眩、
動悸に吐き気で瀕死になる。
※PTSD(wikipedia)
心的外傷後ストレス障害。
いつかPTSDから解放されたら、
あの日に拾った腕時計を供養したい。
カウンセラーは忘れなさいと言うけれど、
忘れることなんて出来ない。
(終)