鏡の中に見知らぬ女を見てから
これは、ある姉妹が暮らすマンションでの話。
鏡の中に見知らぬ女を見てからというもの、「何かが明らかに部屋の中に入り込んできたような雰囲気になったの」と、姉妹は口を揃えて言う。
もふもふが入り込んでいたじゃないか。
「違うの。アレじゃなくて、もっと何か不気味なものが来だしたの」
それって、女の幽霊が見えだしたってこと?
そう尋ねてみると、首を横に振る。
女に限らず、何かおかしなものが頻繁に見えたり感じられるようになったらしい。
「例えばね―」
そう言って、妹が色々と話し始めた。
座卓に座って雑誌を読んでいた時に、ふと気がついてしまう。
閉められたカーテンの下裾から、ニュッと足が出されていた。
姉のものではない。
どう見ても男の足だ。
親指の腹に毛が生えている。
困ったことに、カーテンが膨らんでいるのは足首の部分だけだった。
足の持ち主がいるはずの空間には、何も潜んではいない。
目を逸らし、わざとらしい咳払いを1回した。
ゆっくりと目を戻すと、もう足は見えなくなっている。
ただ、何かが居たという痕跡を示すかのように、カーテンは少し揺れていた。
「こんな感じで、人間の身体のパーツだけがちょこちょこ見え始めたの。あ、ドングリは置かれなくなったんだけどねー」
ドングリの方が遙かにマシじゃないのか、それって。
「そうなのー。だから問題なの」
そう言って、姉妹揃ってしかめっ面をした。
ある日、妹が残業で深夜遅くに帰宅した時のこと。
ドアを開けて1歩踏み出した途端、勢いよく前の方へ倒れかかりそうになる。
寝間着姿に褞袍(うんぽう)を羽織った姉が、玄関の三和土(たたき)に座り込んで紅茶を啜っていたからだ。※褞袍=厚く綿を入れた防寒用の上着 ※三和土=玄関の床
「こんな時間にこんな所で一体どうしたん?」
姉は妹を見て、明らかにホッとした顔で質問に答えた。
「あんたが遅くなるって知ってたから、先に寝ちゃおうと布団を敷いたのね。歯を磨いて布団に戻ったらー」
「戻ったらー?」
「誰かが私の布団で寝ていたの。人の形に膨らんだ布団の端から、長い髪の毛が溢れているのが見えていたの。とても布団を捲る気になれず、ここであんたが帰ってくるのを待っていたの」
姉は、いつもより早口気味で言った。
そして、二人でおっかなびっくりしながら布団に忍び寄る。
布団は確かに膨らんでいた。
しかし、もう髪の毛は見えていない。
覚悟を決めて捲った。
何もいない。
布団も冷たいままだった。
その夜は二人揃って就寝したのだが、満足に眠れなかったそうだ。
むぎゅっ。
「ンァッ!?」
深夜、強引に目が覚まされた。
誰かにお腹を踏まれたのだ。
「何すんのー!」
てっきり姉だと思い跳ね起きたものの、誰の姿も見えない。
呆然としていると、枕元にいる何かが視界を掠めた。
振り向いた先にあったのは、異様な塊だった。
大小様々な青白い人間の足首。
それがギュッと一塊になって、ゴロゴロと転がっている。
そしてそのまま、姉の寝ている方へ進んでいく。
むぎゅっ。
「ンァッ!?」
姉が、つい先ほどの自分と同じような呻き声を上げた。
理由はわからないが、なぜかホッと安心した。
足の塊は壁まで転がっていくと、そのまま中へ溶け込んで消えてしまう。
目を戻すと、布団の上に起き上がった姉が、怒りの目つきでこちらを見ている。
「違うよー。踏んだのは私じゃないよー!」
復讐に燃える姉を説得するのは非常に骨が折れた…。
(終)