最期に気づいた取り返しのつかない過ち
一昨年、弟が自殺した。
弟は俗に言う社会不適合者だった。
真面目で、他人に気配りができて、コミュニケーション能力も人並みにあった。
だからこそ、どんな職場でも些細なミスや人間関係で人一倍悩んで、上司や同僚からいいように使われて、必死になって良い社会人であろうと努めているうちに身も心もボロボロになって最後は辞めてしまう、そんな人間だった。
弟は自殺する半年前に、何度目かの転職先である会社を辞めていた。
次の働き口を探そうともせず、実家に帰って部屋に篭り、貯金を使って豪遊していた。
両親に対しては穏やかな態度で、顔を合わせれば自ら進んで家事を手伝っていたという。
思えば、あれが自殺の前兆だったんだろうな、と両親は言っていた。
弟の自殺から二年。
俺も自殺を考えるようになっていた。
弟のようにクソ真面目ではないが、俺もなかなか頭が固いと自分でも思う。
嫌味な上司とやる気のない同僚のくだらない争いに巻き込まれて、最近の俺は若干うつ気味だった。
煩わしい人間関係、仕事量と釣り合わない安月給、当然のように課されるサービス残業。
明るくなれる要素がどこにも見当たらない。
会社を辞めようかと思ったことは何度もあったが、残念ながら現代の日本では三十路手前からの転職は無謀過ぎる。
そこら中にブラック企業がうじゃうじゃある。
転職したところで今より状況が良くなるという保証もない。
それどころか悪化する可能性の方が高い。
生前の弟との話から、そのあたりの事情はよく聞いて知っていた。
だからもうめんどくさくなった。
弟のように何もかも投げ出して、貯金で遊びまくって、好きなものを好きなだけ食って思い残すことなく死んでしまおうかな、と。
そう思いながら先日、昼休み中に会社から逃げ出して実家に帰った。
晴れやかな気分だった。
社会人失格だとはわかっているが、罪悪感などはまるでなかった。
両親に「会社辞めてきた」とだけ言って、昔に使っていた自分の部屋に戻って、さあ何しようか、と。
俺は自由だ、何をしてもいいんだ、これからの生活のことなんて何も考えなくていいんだ、と。
風俗に行こうか、ステーキでも食べに行こうか、プレステでも買いに行こうか。
そんなこんなをあれこれと考えた結果、まずは弟の墓参りに行こうという結論になった。
そして弟の墓がある近所の寺へ向かう途中のこと。
踏切のある場所で弟に会った。
線路を挟んだ向こう側に弟が立っていた。
俺は固まった。
見間違いではない。
実家で弟の遺影を見てきたばかりだから間違えようがない。
しかし、当の弟は俺のことなんて眼中にないようで、ただ切羽詰った顔をして線路を見ていた。
「あ…」
何を言えばいいのかわからなかったが、とにかく声を出して呼びかけようと思った。
だが、カンカンカンカンという甲高い音で掻き消される。
二人の間に遮断機が下りる。
嫌な予感がする。
嫌な予感はすぐに当たる。
俺の目の前で、弟は遮断機をくぐって線路に飛び込んだ。
電車が通り過ぎる寸前、「いやだ」という声が聞こえた。
その時、泣き出しそうな顔をした弟と目が合った。
結局、俺は会社に戻った。
上司に頭を下げて逃げ出したことを許してもらい、今でも仕事を続けている。
そして今は自殺しようなんて、これっぽっちも思わなくなった。
最期の瞬間、“取り返しのつかないこと”に気づいた人間の姿を目の前で見せられてしまったから。
(終)