木の杭に彫り込まれた一文字の漢字 2/2
そんなことがあってから
しばらくして、
曾爺さんの住む村での犠牲者が
10人を越えた頃、
村長と村役達によって
村人が集められた。
村長は昨今の出来事に触れ、
それがこの村だけでなく
近隣の村でも起きており、
現在、近隣の村々と協議し、
怪異への対策を進めている最中
である事を村人達に伝えた。
解決するまでには今しばらく
時間がかかるとのことで、
それまでの怪異に対する当面の
対処として伝えられたことは、
『見慣れない木の杭を見かけても
決してソレを引き抜かない』
ということだった。
曾爺さんの予想は当たっていた。
さらに村長は、
村長「農作業で使用する杭には、
自分達が打ち込んだものである
ことが明確に分かるように、
何らかの目印を彫り込むように」
と続けた。
これは自分が打ち込んだ杭の中に、
例の杭が紛れ込んでいた時、
誤って引き抜いてしまう事への
防御策だった。
一頻りの説明を聞いて、
今の事態を引き起こしているのは
何者なのかを問う者がいたが、
村長は、
村長「人の怨霊、動物霊や物の怪といった
ものの類でではないこと以外は、
良くわからない。
影響範囲が広範なことから、
非常に力を持った何かだとしか
言えないのだ」
と答えるのみだった。
仮に被害に遭ってしまった場合は
なんとかなるのか、
という問いに対しては、
村長「二度と元に戻すことは
決して出来ない。
そうなった者をお祓いして
もらいに行った時に、
とある神社の神主に
言われたのだ。
『彼には祓うべきものは
何も憑いていない』
・・・と」
と村長は答えた。
神主が言うには、
あれは狐に憑かれたりしたせいで
あのような状態になっているのではなく、
今の事態を引き起こしている
何かの力の一端に触れたせいで、
心が壊れてしまった結果、
この状態になっているのだそうだ。
つまり、
何かの影響下にあって
心身喪失状態に陥っているのではなく、
何かの影響を受けた結果が
心身喪失状態であるため、
寺だろうが神社だろうが、
どうすることも出来ない、
ということらしい。
最後に村長は、
村長「杭さえ引き抜かなければ
何も恐れることはない」
と締め括り、
冷静に対処する事を
村人たちに求め、
解散となった。
村人達が去った後、
曾爺さんは自分がその体験を
したこともあってか、
村長のところに行って、
その何かについて、
尚も食い下がって問いただすと、
村長「幽霊や物の怪や人の祀る
神様と人との間には、
曖昧ながらもお約束という
べきものがある。
相手の領域に無闇に
立ち入らないことだったり、
定期的に祈りを捧げたりとな。
彼らはそれを破ったものには
祟りをなすが、
約束事を守る限りは
問題はない。
しかし、今回の事態を
引き起こしている何かに、
それは当てはまらない。
聞いた話では、
その何かは、
自らがが在るがままに、
ただそこに在ると言うだけで、
人を正常でいられなくし、
発狂させるほどの影響を
与えるのだそうだ。
わしもそこまでしか
聞かされていない。
呪ってやるだとか、
祟ってやるだとか、
そういう意図も持たない
にも関わらず、
存在そのものが人を狂わせる。
そういうものに対しては、
人は必要以上に知らない方が
いいのかも知れん」
と言い残し、
村長は去って行ったそうだ。
それから暫くして、
曾爺さんの住む村で、
神社の建立が始まった。
怪異による犠牲者は、
近隣の村々を含めて
出続けていたが、
その数は収束に向かっていき、
神社が完成した頃には
全く起きなくなったという。
今にして思えば、
木の杭は何かを封じた
霊的な呪い(まじない)の類で、
それを引き抜いてしまったことで
何かの力の一部が解放され、
それに触れた人間が狂ってしまう
ということだったのかも知れない。
神社が立てられたことで、
その何かは再び強固に封印され、
怪異が起きなくなったと
いうことなのだろう、
と曾爺さんは爺さんに
話してくれたそうだ。
そんな経緯で、
ウチで使う木の杭には、
ウチのものである事を示す目印を、
今でも彫り込んでいるんだそうだ。
近所ではそんなのを見たことが
ないことを指摘してみたら、
爺「人ってのは、
喉もと過ぎるとなんとやらで、
今ではあんまりやってる家を
見かけないが、
この近所だと、
どこそこのSさんとことか、
Mさんとこは今でもやってるから
見てくるといいぞ」
と爺さん言われた。
見てきてみると、
確かにSさんちとMさんちで
使ってる木の杭には、
漢字一文字の彫り込みがあった。
爺「今でもやってる家ってのは、
大体が犠牲者を出した家か、
その親族の家だろうな」
とは爺さんの談。
(終)