36名の女子生徒が溺死した中河原海岸
三重県津市にある中河原海岸。
第二次世界大戦中の
昭和20年(1945年)7月28日。
米軍の空襲を受け、
250名もの人間が命を落とした。
火葬しきれない遺体は、
この海岸に埋められたと伝えられている。
そして10年後の同じ日、
昭和30年(1955年)7月28日。
この場所で水泳訓練を実施していた
中学校の女子生徒36名が溺死した。
生存者はわずか9名。
一度に出た水難事故死としては、
現在までも日本最大である。
本当に亡霊による仕業なのか・・・
澪(みお)によるものとされているが、
生存者の証言によると、
もんぺ頭巾の姿をした『亡霊』が、
海に引きずり込んでいたという。
※澪(みお)
干潟や河口とその付近、湖沼で溝状になっている凹地。水流によって砂や泥,石などが除かれ,そこだけ水底が深くなっている。
これは一人だけでなく、
生き残った生徒のうちの5人が証言した。
多数の同時証言が取れているので
疑う余地はなく、
空襲で死んだ人たちの怨念が、
海に引きずり込んだ以外に考えられない。
また、その後も事故が絶えず、
現在は遊泳禁止となっている。
※橋北中学校水難事件(wikipedia)
※事件当時の写真は(毎日フォトバンク)からキーワード「中河原海岸」で検索すると十数点の関係写真を見ることができます。
※奇跡体験!アンビリバボー(フジテレビ)で放送された映像
※音が出ます
(終)