鍵
僕のオカルト道の師匠は当時、
家賃9000円の酷いアパートに住んでいた。
鍵もドラム式で、
掛けたり掛けなかったりだったらしい。
ある朝、
目が覚めると見知らぬ男の人が
枕元に座ってて、
「おはようございます」
と言うので、
「おはようございます」
と挨拶すると、
宗教の勧誘らしきことを始めたから、
「さようなら」
と言って、
その人を置いたまま家を出てきた、
という逸話がある。
防犯意識皆無の人で、
僕が初めて家に呼んでもらった時も、
当然鍵なんか掛けていなかった。
酒を飲んで二人とも泥酔して、
気絶するみたいにいつのまにか眠っていた。
僕が夜中に耳鳴りのようなものを
感じて目を覚ますと、
横に寝ていた師匠の顔を覗き込むように
している男の影が目に入った。
僕は泥棒だと思い、
一瞬パニックになったが、
体が硬直して声をあげることもできなかった。
僕はとりあえず寝てる振ふりをしながら、
薄目をあけてそっちを凝視していると、
男はふらふらした足取りで体を起こし、
玄関のドアの方へ行き始めた。
『いっちまえ。
何も盗るもんないだろこの部屋』
と必死で念じていると、
男はドアを開けた。
薄明かりの中で一瞬振り返って
こっちを見た時、
右頬に引き攣り傷のようなものが見えた。
男が行ってしまうと、
僕は師匠を叩き起こした。
「頼むから鍵しましょうよ!」
もうほとんど半泣き。
しかし師匠はとぼけて曰く、
「あー怖かったー。
でも今のは鍵しても無駄」
「なに言ってるんすか。アフォですか。
ていうか起きてたんすか」
僕がまくしたてると、
師匠はニヤニヤ笑いながら、
「最後、顔見ただろ」
頷くと、
師匠は自分の目を指差して
ぞっとすることを言った。
「メガネ」
それで僕はすべてを理解した。
僕は視力が悪い。
眼鏡が無いとほとんど何も見えない。
今も間近にある師匠の顔でさえ、
輪郭がぼやけている。
「眼鏡ナシで見たのは初めてだろ?」
僕は頷くしかなかった。
そういうものだと初めて知った。
結局、
あれは行きずりらしい。
何度か師匠の部屋に泊まったが、
二度と会うことはなかった。
(終)
次の話・・・「そうめんの話」