貯水池 1/5
大学1回生の秋だった。
その頃の僕は、
以前から自分にあった霊感が、
じわじわと染み出すように
その領域を広げていく感覚を、
半ば畏(おそ)れ、
また半ばでは身の震えるような
妖しい快感を覚えていた。
霊感はより強いそれに触れることで、
まるで共鳴し合うように
研ぎ澄まされるようだ。
僕とその人の間には、
確かにそんな関係性があったのだろう。
それは、磁石に触れた鉄が
着磁するのにも似ている。
その人はそうして僕を引っ張り上げ、
また、その不思議な感覚を
持て余すことのないように、
次々と消化すべき対象を与えてくれた。
信じられないようなものを、
たくさん見てきた。
その中で、
危険な目に遭ったことも数知れない。
その頃の僕には、
その人のやることすべてが、
面白半分の不謹慎な行動に見えもした。
しかしまた一方で、
時折覗く寂しげな横顔に、
その不思議な感覚を共有する仲間を求める、
孤独な素顔を垣間見ていたような気がする。
もう会えなくなって、
夕暮れの交差点、
テレビのブラウン管の前、
深夜のコンビニの光の中、
ふとした時に思い出すその人の顔は、
いつも暗く沈んでいる。
勝手な感傷だとわかってはいても、
そんな時の僕は、
何か大事なものをなくしたような、
とても悲しい気持ちになるのだった。
「貯水池の幽霊?」
さして面白くもなさそうに、
胡坐をかいて体を前後左右に揺する。
それが師匠の癖だった。
あまり上品とは言えない。
師匠と呼び始めたのは、
いつからだっただろうか。
オカルトの道の上では、
何一つ勝てるものはない。
しかし、
恐れ入ってもいなかった。
貶尊あい半ばする、
微妙な呼称だったと思う。
※貶尊あい半ば(へんそんあいなかば)
褒めることもあれば、けなすこともあり、その割合は半々。
「そうです。
夕方とか夜中にそこを通ると、
時々立ってるんですよ」
その日、
僕は師匠の家にお邪魔していた。
築何十年なのか聞くのも怖いボロアパートで、
家賃は1万円やそこららしい。
部屋の中には備え付けの台所から、
麦茶を沸かす音がシュンシュンと聞こえている。
「近くに貯水池なんてあったかな」
「いや、ちょっと遠くなんですけど。
バイト先からの帰り道なんで」
行きには陽があるせいか、
出くわしたことはない。
「高校のプール10コ分くらいの面積に、
周囲には土の斜面があって、
その周りをぐるっと囲むように
フェンスがあります。
自転車を漕ぎながらだと、
貯水池は道路から見下ろすような格好になって、
行きにはいつもなんとなく
フェンスのそばに寄って、
水面を眺めながら通り過ぎてます。
それが結構高いフェンスなんですけど、
帰りに、そのこっち側、
道路側に時々出るんですよ」
初めは人がいると思って
避けて通ろうとしたのだが、
横切る瞬間の嫌な感覚は、
これまで何度も経験した
独特のものだった。
それは黒いフードのようなものを
頭から被っていて、
男か女かも判然としない。
※判然(はんぜん)
はっきりとわかること。
ただ、足元には
いつも水溜りが出来ていて、
フードの裾からシトシトと
水が滴っている。
晴れた日にもだ。
『関わらないほうがいい』
それは信じるべき直感だったが、
かといって道を変えるほど素直でもなかった。
それからは、
バイト帰りには必ず道の反対側を
通るようにしている。
といっても、
1車線のあまり広いとはいえない道なので、
嫌が応にも横目で見る形で
すれ違うことになる。
気分が良いはずはない。
一度師匠をけしかけてみようと
虫の良いことを思いついたのだが、
どうやらあまり琴線に触れる
内容ではなかったようだ。
正直にナントカシテと言うのも情けない。
少しがっかりしながら、
3回に1回くらいは向こう側に
出ることもあると付け加えた瞬間、
師匠の体の揺れがピタリとおさまった。
「なんて言った?」
「いや、だから、
フェンスのこっち側の時と、
向こう側の時があるって話です。
立ち位置が」
師匠は首を捻りながら、
「へぇえ」
と言った。
僕は大学の授業で習っている
中国語のピンインのようだと、
見当違いなことを思った。
※ピンイン(wikipedia)
中国語で音節を音素文字に分け、ラテン文字化して表記する発音表記体系を指す。
第四声だったか。
下がって上がるやつ。
「物理的な実体を持たない霊魂にとって、
フェンスという障害物なんて
あってもなくても同じだから、
こっちか向こうかなんて、
大した違いはなさそうに
思えるかも知れないけど・・・
実体を持たないからこそ、
『ウチ』か『ソト』かっていうのは
不可逆的な要素なんだ。
場に憑いてる霊にとっては特にね」
だから地縛霊って言うんだ。
師匠はようやく乗り気になったようで、
声のトーンが上がってきた。
「なにかあるね」
体の揺れの代わりに、
左目の下を触る癖が顔を出した。
そこには薄っすらとした
切り傷の跡がある。
興奮してきた時には、
なぜか少し痒くなるらしい。
何の傷かは知らない。
じっと見ていた僕に気づいて、
師匠は「嫁にもらってくれるか」、
と冗談めかして言う。
とにかく、
その貯水池に夜になったら
行ってみようということになった。
しかし、
僕にとっては思った通りの展開だと、
手放しで喜ぶわけにはいかない。
なにか得体の知れない不気味な気配が、
貯水池の幽霊の話から漂い始めている
ような気がしていた。
(続く)貯水池 2/5
師匠シリーズ
ガラケーだと師匠シリーズ読めない事ある…orz
素人さんへ
いつも閲覧ありがとうございます^^
もう少し詳しくお聞きしたいのですが、
読めるものと読めないものがあるということでしょうか?
他の記事はどうでしょうか?
また、読めない時は何か思い当たる原因がありましたら
ぜひ合わせて教えてください。
出来る限りの対応を致しますので、
お時間のある時にでもお返事頂ければ幸いです。