親父の命日にあった不思議な出来事

 

親父の墓参りに行った時に思い出した話。

 

うちの親父は、俺が中学の終わり頃に亡くなった。

 

しかし俺は親不孝者なもんで、親父の命日はほぼ覚えていない。（今年もすっかり忘れていた）

 

これは１０年以上も前の、親父の命日にあった出来事。

 

その年も案の定、命日を忘れて遊びに出掛け、夜１０時過ぎくらいに家に帰って来た。

 

玄関のドアを開けると、家の中が真っ暗だった。

水を飲ませてあげなさい

オフクロはもう寝たのか？と思った矢先、「おかえりなさい。電気つけちゃダメよ」と、台所の方からオフクロの声がした。

 

なんでこんな真っ暗にしてんだよ！と言いつつ台所に向かうと、水道からドバドバと水が流れて器に溜まる音がする。

 

暗くて薄ぼんやりとしか見えないが、どうやらオフクロは水道の前に立って水を両手で受けているようだった。

 

何をしてるのかと聞く前に、オフクロはすっと横に避けて俺を水道の前に立つよう促した。

 

そして、「両手で水を汲んで。こぼさないようにしっかりとね」と言った。

 

とりあえず手洗いするつもりで水に手を突っ込むと、「そのまますくって。お家の中のどこかにいるから探してちゃんと飲ませてあげて来なさい」と、訳の分からないことを言う。

 

正直、俺の頭の中は「？？？」の状態だったが、オフクロは穏やかな声なのに有無を言わせない迫力があり、なぜか逆らえなかった。

 

探すって何を？と思いつつ、とりあえず両手で水を汲んで暗い中をそろそろと歩き出した。

 

その答えはすぐに分かった。

 

探すまでもなく、台所の冷蔵庫の横にうずくまっていたからだ。

 

暗闇の中でもはっきりと分かるほど真っ黒な人影。

 

見た瞬間、俺は硬直した。

 

飲ませてあげなさいというのは、これのことか？

 

これに水を飲ませてやれと？

 

俺は頭が混乱していて、状況が全く理解できなかった。

 

ただ、すぐそばの台所にオフクロがいるわけだし、不思議と恐怖は感じなかった。

 

その黒い影に向かって、そーっと両手を差し出す。

 

すると、いきなりガシッ！と両手首を掴まれて、心臓が止まりそうになるくらいビックリした。

 

黒い影は俺の両手に顔を突っ込んで、グビグビと水を飲み干していく。

 

その頭部を見て、俺の両手首を掴んでいる骨ばった掌の感触を思い出し、「ああ、これ親父だ」と気付いた。

 

後ろまで禿げ上がっていて、額の上のあたりは孤島のように髪の毛が残っているこの頭部。

 

そうか、今日は親父の命日だったっけな？と、その時になって思い出した。

 

その時点で、もう恐怖はなかった。

 

ただ、何故そんな風に思ったのかよく分からないが、下を向いちゃいけない、顔を見ちゃいけないと思い、そのまま水を飲み終わるまでじっとしていた。

 

そして、ふっと両手首を掴んでいる感触が消えると、もうそこに親父の姿はなかった。

 

台所のオフクロの所に戻ると、「手首まできちんと洗いなさいね」とだけ言われ、それに従った。

 

手を洗い終わって、もう電気つけていいのか？と聞くと、頷いたようなので台所の照明をつけた。

 

明るくなった台所でオフクロはどこか呆けたような表情でしばらく立っていたが、ザバザバと水が流れる音で我に返ったかのように、「なに水を出しっぱなしにしてるの！もったいない！」と、いきなり怒鳴られた。

 

さらに、「なんで部屋の電気消してるの。暗くて危ないでしょ！」と。

 

俺はオフクロに、「今のは何？うちの家系に伝わるなんか儀式的なものなの？」等々質問攻めにしてみても、「あんた何寝ぼけてるの？」と言うだけでどうしようもない。

 

知らぬ存ぜぬを決め込んでいる風にも思えなかなった。

 

そもそも、うちのオフクロは嘘が全くつけないというかつかない人間なので、どうやら本気で自分がしていたことを覚えていないらしい。

 

ふと俺は、もしかして親父は喉が渇いていたのかな？と思い、翌朝になってから日が昇る前に墓参りに行ってみた。

 

すると、墓石の前に置いてある湯飲みが風で吹き飛ばされたのか、地面に落ちて割れていた。

 

多分そうなんじゃないかなぁと予想していたので、代わりの湯飲みに水を汲んで置いてきた。

 

今度のお盆にはキンキンに冷えたビールをお供えしてやろうと思っている。

 

（終）