夜な夜な愛しげに鳴いていた迷子犬
これは、亡き祖父から聞いた話。
祖父の知り合いの川本さんは、山奥でひっそりと暮らしていた。※名前は仮名
畑を耕しての自給自足で、お金が必要になれば余った野菜や山草やら薬草を里に下りて売りに来ていた。
当時、同じ様な仲間が何人かいたらしい。
川本さんは足腰のぴんしゃんした老人で、笑うと豪快だが普段は無口な人だった。(ぴんしゃんとは、年の割に非常に元気のよいさま)
ある時、川本さんは『大きな犬』を連れて里へ下りて来た。
背中に怪我をしていて弱っていたところを保護したのだという。
立派な首輪を付けているので迷い犬だろう、と。
とても賢そうな顔をした立派な犬だった。
そして誰かが、「熊と戦ったんじゃないか?」と言った。
確かに熊でもなければ、こんな大きな犬に傷を負わすことはないだろう。
そんな話をしているうちに、川本さんは山へ帰ってしまった。
祖父はその犬の立派さに惚れ惚れし、飼い主が見つからなければ飼いたいと思った。
だが立派な犬なので、皆が欲しがっていた。
とりあえず祖父が犬を預かることに。
犬は、みるみるうちに元気になった。
だが、夜になると不安げに鳴く。
可哀想に思った祖父は、一緒に寝てあげた。
ますます犬に愛着が湧き、飼い主が見つからなければいいのに、とさえ思った。
しかし数週間後、飼い主と名乗る男がやって来て、犬を連れて行った。
その後、里に下りて来た川本さんに祖父は話しかけた。
「犬の飼い主が見つかったよ。熊と戦える犬、欲しかったなあ」
川本さんは複雑な笑みを浮かべ、祖父にこう言った。
「あれは熊じゃねえ。もっと危ないもんだ。あの犬は魅入られた。その証拠に夜な夜な愛しげに鳴いたろう。飼い主の元に戻るのが一番いい。そうでもなきゃ連れて行かれる・・・」
祖父は川本さんの言っている意味がよく分からなかったが、犬の鳴き声は覚えていた。
それはいつも悲しそうな鳴き声だった。
きっと飼い主の元へ戻りたいのだろう、と思っていた。
川本さんはしょんぼりとする祖父に、「今度もし犬を拾ったらお前にくれてやる」と約束し、また山へ帰って行った。
数年後、祖父は川本さんから小さな雑種犬をもらった。
その犬は間抜けな顔をしていて、頭も悪かった。
ただ、夜になっても山に向かって鳴くこともなく、祖父によく懐き、いつも後ろを付いて来る可愛い犬だったそう。
生前の祖父は、「俺はあんな犬じゃなくて、もっと大きくて立派な犬が欲しかったんだがなあ」とよく話してくれた。
今はその犬の孫、そのまた子供がいる。
間抜け面でよく寝る犬だ。
(終)