水面に浮いてきた予期せぬもの
これは、去年のお盆の話。
まだ薄暗い朝方に釣りをしていたら、“どこからか何を言っているのかわからないくらいの小さい声”が聞こえてきた。
おかしいな?と思い、辺りを見渡しても誰もいない。
気にせず釣りを続けていると、また聞こえる。
今度は、さっきよりも大きく聞こえてきた。
ただ、何を言っているかは聞き取れない。
いよいよ怖くなってきた。
気のせい…気のせい…と自分に言い聞かせ、場所を移動しようとルアーを回収するために水面を見ると、何かがボコンッボコンッと浮いてきた。
何だろう?と見ると、息をのんだ。
それは『人の顔』で、男女合わせて5~6人は居ただろうか。
その全員が気持ち悪い顔で俺の目をじっと見ている。
俺は知らん振りをして、そっと道具を持ち、ガクガク震える足をなんとか前に進ませながらその場所から離れた。
ただ足に力が入らず、走れない。
ゆっくり、ゆっくりと離れる。
後ろでは、また何か言っている。
それに、だんだんと声は大きくなってきている。
それでも、何を言っているかは聞き取れない。
というより、言葉になっていないように思えた。
(知らねーよ!知らねーよ!)
俺は心の中でそう叫びながら、なんとか前に進んだ。
もう少しで車に着く…。
もう少し…。
すると、次第に声は聞こえなくなった。
ようやっと車が見えてきた。
同時に、足の震えも少しずつ収まってきていた。
そして1メートルほどの幅がある水路を飛び越えようとした時、再び先ほどの声がとてつもない大きな音で聞こえ始めた。
思わずビクッとして、危うく水路に落ちそうになった。
そして、そこに居たのだ。
その水路の中にあいつらが…。
(ふざけんなよ!何だよ、おめーらはよ!?)
俺はムカッとして、持っていたロッドで水に浮かぶ顔を突付きそうになった。
だが、相変わらず聞こえる叫び声のような何を言っているのかわからない大合唱と、気持ち悪い複数の顔に、また怖くなってやめた。
そして、思い切ってその水路を飛び越えた。
あいつらの大合唱で頭が痛くなってくる。
今度は走った。
車まであと僅かの距離だ。
全力で走る。
…ガツッ!!
その時、肩から下げていたバッグが何かに引っかかった。
(なんでこんな時に…)
後ろを振り返るのが怖かった俺は、力ずくで引っ張る。
その瞬間、むぎゅっと後ろ足を掴まれた。
感触から、それは『手』だったと思う。
ゾッとした。
きっと、バッグも掴まれていたのだ。
…グンッ。
今度はバッグが重くなった。
(もしかすると掴む者が増えたか?)
これ以上に増えてしまうと、水路まで引っ張られ、落とされて、あちら側に連れていかれる。
俺は目一杯に力を振り絞り、体をブンブンと振りながら掴んでくる者を振り解こうとした。
十数秒が過ぎた頃、フッと体が軽くなった。
その直後、無我夢中でダッシュした。
号泣しながら。
もう声は聞こえない。
そしてようやく車を止めていた舗装してある広場に出た。
何故かはわからないが、もう大丈夫だと思った。
広場にはもう1台の車が止まっていて、男性が釣りの準備をしていた。
ただ、すぐにでも帰りたかった俺は、泣きながら道具を片付けていた。
そんな様子をその男性は不思議そうに見ていた。
しかし、男性があの場所へ入って行こうとしていたので、「そっち、うぐっ…、行かないほうが、ひくっ…、いいですよぉ…」と、泣きながら伝えた。
「あ、そう」
そう言って苦笑いして入って行ってしまったが。
(ああ…行っちまった。俺は何も知らねぇぞ…)
そう思いながら、家に帰った。
号泣しながら。
家には親戚が来ていたが、そのまま自分の部屋に入り、昼頃までベッドでまた号泣した。
今思い返しても、あいつらは何を言いたかったのか、何をしたかったのか、どうして俺はあんなに号泣したのか、後から入ったあの男性はどうなったのか、何もわからない。
あれからあの場所へは行っていないし、もちろん二度と行きたくない。
釣れる場所だっただけに残念だが。
そしてあの一件以来、未だに水面を見ると“あの顔が浮かんでくるんじゃないか…”と怖くなる。
海、川、湖、お風呂、トイレ…。
特にお風呂が怖い。
逃げ場がないから。
(終)
お盆の薄暗い時の水場なんてフラグだらけの場所に、好き好んで行って置いて怪異に遭ったって泣かれても…