夜中に下の部屋から聞こえるざわつき声 2/2
サトウさんが床から顔だけを出し、めいっぱいに目を見開いて天井を見つめ、まるで魚のようにゆっくりと口をパクパクさせている。
それを見た時、なぜか直感的に「あれは何かとてつもなくヤバイものだ」と感じた。
俺は完全に思考が停止してしまい、訳も分からないまま着の身着のままで携帯と財布だけを持って部屋から逃げ出した。
その夜はひとまずマンガ喫茶で夜を明かすと、朝一番で不動産屋へと向かった。
あんな場所にはもう住んでいられないので、引越し手続きをする為だ。
不動産屋に着くと、担当の人を出してもらいすぐに引越しの話を切り出したのだが、突然の事にしてもやけに担当の人の様子がおかしい。
なぜか、どうしても引越しをさせたくないように見える。
不信に思ってしつこく追求してみると、どうも俺はサトウさんの死に関係があるのでは?と疑われているらしい。
だから安易な引越しはさせれないようだった。
言われてみれば当たり前の事だ。
サトウさんと最後に会っていたのは俺だし、何より騒音トラブルもあった。
朝の出来事も俺がそう言っているだけで、客観的な証明など何一つない。
何より、サトウさんの死因はまだ不明のままだ。
俺が殺したと疑われても仕方がない状況だ。
そこに来ていきなり俺が引越しをしたいと言って来れば、不動産屋としても当然疑うだろうし、不動産屋だけではなく警察も疑っているだろう。
かと言って、あの部屋に戻るのだけは絶対に嫌だ。
あんな得体の知れない不気味なモノが現れた場所で、また過ごすなどありえない。
そもそも、あのスーツ姿の男がサトウさんの死に何らかの形で関わっているのは明白だ。
もしかしたら次のターゲットは自分かもしれない。
そんな事情が事情だけに、俺としても絶対あの場所に戻るのは嫌だ。
そこで、信じてもらえるかどうかは分からなかったが、今までの経緯や昨晩の事を正直に不動産屋に話した。
すると、不動産屋はこの話を信じたのかどうなのかは分からなかったが、とりあえず自分の裁量ではどうにも判断できないので警察と相談して欲しい、と言ってきた。
仕方がなく、俺は前日に警察から貰った名刺の番号に電話をして、警察署で事情を話すことにした。
警察署に着き、担当の人に不動産屋で話した内容と同じ事を話したのだが、当たり前といえば当たり前だが、話は信じてもらえなかった。
むしろ、「こいつは何を言っているんだ?」みたいな態度を取られた。
連日の寝不足の事もありイライラしていた俺は、発作的に「だったらてめぇもあそこに一晩居てみろよ!」と大声で怒鳴ってしまい、担当の警察官に自分の部屋のカギを投げつけた。
後から考えれば、理不尽で無茶な要求をしていたのは俺の方なのだが、警察官は俺を落ち着かせると、引越し先はあまり遠くにしない事と、引越し先の住所を報告して警察からの電話には必ず出る事を約束すると、引越しを許可してくれた。
その後、俺はなんとか別の場所に引っ越す事が出来て、事件の方はどうやらサトウさんの自殺のようだという事も分かり、俺への疑いもなんとか晴れた。
自殺である事が判明してからしばらくして、俺はまた警察に呼ばれた。
どうもサトウさんのPCから日記が見つかっていたのだが、そこに書かれている内容の一部に、俺が警察で話した例のスーツ姿の男と酷似した人物の事が書かれていたそうで。
「その辺りの事情をもう一度詳しく聞きたい」という事だった。
結局、あのスーツ姿の男の正体は今でも不明のままだが、警察から聞いた話でいくつか分かった事もある。
日記の内容から、どうも俺が最初にサトウさんの所へ苦情に行った時点より前に、彼はスーツ姿の男に出会っており、ざわつき声の正体がその男である事も知っていたようだった。
そして、日記にはスーツ姿の男が明らかに悪意のある相手である事が繰り返し書かれていて、サトウさんは身の危険を感じていたらしい。
なぜそこまで分かっていたにも関わらず、彼はあんなさも何も知らないかのような態度を取ったのだろうか。
警察は何も言っていなかったが、もしかしたら天井裏には何かがあったのではないだろうか。
サトウさんはそこまで知っていて、何らかの理由で俺を巻き込もうとしていたのではないだろうか。
今となっては何も分からない。
(終)