「あの・・・、あの人、見えてますよね?」
これは、3月頃に体験した話です。
いつもは車で移動しているのですが、昨夜は飲み会があった為に久し振りに電車を使いました。
同じ方向に家がある友人の車などに乗せてもらえばいいのですが、その日はどうしても都合のつく人がおらず、およそ1年ぶりの電車でした。
飲み会も終わり、そして帰りの電車に乗るべく駅へ。
奇妙な男性
電車が到着するまで10分ほどの時間があったので、ホームのベンチに座って携帯をいじっていました。
3月とはいえ、こちらはまだ雪も溶けかけの時期。
夜は息が白く、コートなどを着ないととても寒いです。
しばらく携帯をいじっている間に、1つ間を置いた隣りの席に女性が座りました。
気になったわけではないのですが、私はふっと顔を上げました。
私の座るベンチはホームの後ろ側にあるので、顔を上げれば立って電車を待つサラリーマンや他数人の後ろ姿が見えます。
何気なくその後ろ姿を見やってから、私は少しの違和感を覚えました。
ホームの白線を越えて線路との段差ギリギリの所に立ち、そしてユラユラと体を前後させている若そうな男性の後ろ姿が目に付いたのです。
別にそれくらいなら余り気にはならなかったのでしょうが、その男性はこの寒い中で白い半袖のTシャツとジーンズという夏の格好をしていました。
髪の毛は短くて茶色で、黒いショルダーバックを掛けており、ゆっくりユラユラと体を大きく前後に揺らしているのです。
今にも線路に落ちそうなほどギリギリの場所に立っているのに、他の人達は大して気にもしていない様子でした。
ですが、その男性は見るからに奇妙で、もしかして飛び込み自殺だったりして・・・と思いながら私はその男性の後ろ姿を見ていました。
その時、右肩をふいに誰かに叩かれました。
少し驚いて振り向くと、隣りに座っていた女性がこちらを見ており、眉をひそめてこう言いました。
「あの・・・、あの人、見えてますよね?」
そう聞かれて一瞬何のことか分からず、「は?」と思いながらその女性が視線を向けた方向に私も目をやりました。
そこは、さっきまで奇妙な男性が立っていたはずの場所でした。
でも、その時は私には何も見えなかったのです。
さっきまでいたはずの男性の姿はなく、ホームのどこを見てもそれらしき人は見当たりませんでした。
目を離したのは一瞬で、この短時間でいなくなれるはずがないのです。
もしかして線路に落ちたのか?とも思いましたが、他の人達はさっきと何も変わらない様子で立っています。
ただ驚いて隣りの女性にもう一度振り返ると、その女性は「見えてますよね?」と繰り返します。
どうも女性には、まだあの男性が見えているようなのです。
そうと分かった瞬間、どうしようもなく怖くなり、その場から一刻も早く逃げ出そうと思いました。
私はその女性に「向こうの自販機でジュースでも買いませんか?」と誘いをかけ、後はただ二人でじっと電車が来るのを自販機の前で待っていました。
そして、ようやく到着した電車に乗り込んでその男性がいた場所を通り過ぎる瞬間、やはり私には何も見えなかったのですが、女性にはしっかり顔が見えたそうです。
「・・・笑ってました。俯いてて口しか見えなかったんですけど、笑ってました」
そう言った女性の言葉が今でも頭から離れません。
まさか自分がこんな体験をしようとは夢にも思っていませんでした。
家に着いてから、家族に「あの駅で自殺か事故はあった?」と聞いてみましたが、誰も何も知りませんでした。
私はもう電車には乗りたくありません。
(終)