この場所ではそういう約束だから
これは、釣りにまつわる奇妙な体験話。
釣り仲間の桜井(仮名)と二人で、近場の山にある溜め池へバス釣りに出かけた。
先に釣り上げたのは桜井の方だった。
中々の大きさだ。
しかし、桜井はそれをリリースすることなく、後ろの繁みの中へ放り投げた。※リリース=解放
「バスをリリースするの、嫌うタイプだったっけ?」
そう問い掛けると、「いや、この場所ではそういう約束だから」などと言う。
意味がわからずにいると、魚を投げ込んだ辺りから大きな音がした。
バリ、バリ、ガキ、バキン!
何かが硬い物を噛み砕き、飲み込んだような、そんな音。
「今の音、何?」
慌てて聞いたところ、次のような返事があった。
「いや、だからそういう約束というか決まりなんだ。
何というか、池の主への御裾分けみたいなもんだとでも考えてくれ。
実際に俺らって、バス釣っても食べないから構わないだろ」
桜井は、あくまで平然としていた。
最初は混乱していたが、一人だけ狼狽しているのも癪(しゃく)なので、桜井に倣って釣ったバスを後ろに放り投げてみた。
しばらくすると、やはり同じようなバリバリという大きな音。
ここはそういう場所なんだなと、何となく納得して釣りに没頭した。
一風変わったリリースを繰り返しながら。
帰り際、音のした辺りをちらっと覗いてみた。
バスは影も形もなく、ただ生臭いニオイだけがうっすら漂っていた。
(終)