困窮した港町が海神へ捧げたのは
これは、ガンで亡くなった親父から聞いた話。
コンビニでおにぎりを見かけた時に、この話をふと思い出した。
親父の親父(以下、ジイちゃん)はマグロ漁をやっていて、一本釣りを生業としていた。
一本釣り漁師は組合に何人もいるのだが、ジイちゃんの腕前は中ほど。
気弱だったこともあって、パッとしない男で通っていたそうだ。
今でこそ絶滅を危惧されているが、当時は月に数本も釣り上げて帰ることが出来た。
小ぶりで値が付かなければ自分たちで食う。
だから生活に困ることはなかった。
それでも仕事柄、天候が荒れれば稼ぎが無くなる。
嵐が過ぎればシケが続き、また大雨が来る。
いざ海に出てみれば、ボウズが続いた。※ボウズ=魚が一匹も釣れないこと
間の悪いことに、大きな地震に見舞われたばかりの港町は、復興に町人の貯蓄を費やしていた。
ジイちゃんは押しに弱く、すっかり搾られスッカラカンに。
そんな時、そんな連中は海に出るしかない。
その日は波が穏やかで、ジイちゃんは夜通し船を漕ぎながらイカを釣って帰った。
いつもならマグロの餌になるのだが、大物に賭けるより家族に飯として食わそうと思ったから。
この時期、そのくらい困窮していたのだ。
ジイちゃんの子、つまり俺の親父である幼子は、イカが嫌いなので文句を言うとゲンコツをもらった。
ジイちゃんは、気こそ弱いが内弁慶だった。
以前の地震で船が流れた者も多く、食料は全体で分けあっていた。
釣果の上がらぬ日が続くと、喧騒が響くようになる。
当時は国からの援助など、期待できる程のものではなかった。
町の中央の小高い丘に神社があり、津波の被害を免れていた。
ここで集会が開かれて、“海の神様に供え物を捧げる”旨が決まった。
港町に海神信仰は付き物だそうで、この町の神体は蛇だった。
そして蛇は肉を好むため、いつも若い乙女が選ばれた。
さすがに時代錯誤だということで差し出す者が出なかったが、「私でよければ…」と、まだ若いバアちゃんが名乗り出たという。
バアちゃんはジイちゃんに輪をかけて気弱だったそうだが、妙に頑固な一面があったそうだ。
でも本当は、気弱なんかではなく優しかったのかもしれない。
幼い親父の思い出は、ゲンコツで傷む頭を撫でてもらったことらしい。
ジイちゃんは珍しく大声を上げて抵抗し、いつもなら目を伏せて逆らわない年長の漁師に殴りかかった程だった。
しかし、誰もが何かに縋りたい心持ちだったようで、一同はジイちゃんを説き伏せた。
ただ、説き伏せたと聞いているが、縄で縛って柱にでも括ったのだろう。
親父曰く、訳もわからず悲しいばかりで何も出来なかったと。
貢ぎ物がどのような形で差し出されるのかはさすがに聞けず、親父は知りもしようとしなかったのではないだろうか。
バアちゃんが居なくなってから数日は、家に食べ物が届けられたそうだ。
心ばかりといったところか。
数日経って、親父は夢を見た。
夢の中で目を覚ますと、暗くて冷たい空間に親父はいた。
少し離れたところには、大きな人影が佇んでいた。
輪郭が淡く、宇宙船のように光っていた。
怖いとは思わなかったという。
「このような物を貰っても困る。不憫でならない。勝手に捕る分には構わないが、母の身の落ちた海の物は進んでお前にやりたくない」
“野の物を根差せ”、という言葉に力強いものを感じたそうだ。
その後、ジイちゃんはすっかりおかしくなってしまい、気に病んだ町人は新しく配当された国からの援助金を出しあって、遠くの親戚に押し付けてしまった。
親戚は農家で米を作っている。
そこが今の俺の実家になる。
親父が生きていた頃、都会に憧れた俺がその旨を伝えた際に、「お前は農家を継ぐんだ!」と強く叱られた。
その理由を尋ねた時に、この話を聞いた。
結局、半ば絶縁に近い形で飛び出して来たが、早くに母を亡くした俺に握ってくれた、親父の歪なおにぎりの美味さは忘れたことはない。
余談になるが、俺は魚介全般アレルギー持ちであることを、妙に腑に落ちた気がした話でもある。
(終)