あのマンションにだけは行けなくなった
これは、新聞配達の集金をしていた時の話。
その日は大きなマンションに行き、集金し回っていた。
何軒も訪問しているうちに気づくが、本当に色んな家庭がある。
例えば、もの凄く警戒してドアチェーン越しにお金を差し出す家もあれば、ほぼ下着姿で出てくる奥さんまで…。
それは、ある家を訪ねた時のこと。
ドア横のインターホンを押してしばらく待っていると、ドアが開き、まず子供がやってきて、こちらをじっと見ながら「ママー、変なおじさんがきたー」と言う。
俺は内心『変なって何だよ!おじさんじゃねぇし!』となっていたところ、奥さんが「ごめんなさーい」と言いながら笑いながら出てきた。
どうやらここは子供の多い家庭のようで、奥さんが財布を取りに行っている間中、ドタドタドタと走り回っている。
俺はどちらかと言えば子供が得意ではないので、少し不機嫌気味に待っていた。
ふと気づくと、玄関にある靴箱の前で3歳くらいの女の子が向こう向きで寝ている。
いくら新聞の集金だからと玄関に子供を寝かせたままなんて、この奥さんもどこか変わっているのかなと思いながら、支払いの受け取りを始めた。
そして、お釣り渡した後に「ありがとうございます」と言った直後、奥さんもお辞儀をするのに一歩下がった。
それを見ていた俺は、「あっ!」と思わず声が出てしまった。
なぜなら、奥さんは後ろへ下がりながら寝ている子供を踏んづけていたから。
俺は『あーあ、こりゃ泣くぞー』と思ったが、全然そんなことはなかった。
子供は何事もなかったかのようにスースーと寝ている。
そこでようやく気づいた。
この子は生きている人ではない、と。
あんな間近でそういう人はそう見ないし、そう考えた途端、あの奥さんの笑顔がもの凄く恐ろしくなり、訳のわからないことを言いながら急いでドアを閉め、そのまま帰宅してしまった。
その晩、熱を出した挙句、それから2日ほど寝込んだ。
それ以降、あのマンションにだけは行けなくなってしまった。
(終)