人が亡くなった現場に置かれていく供え物
大学生の頃、同じゼミに通っていた友人の男性が自殺した。
当時やっと21歳を越えた多感な頃で、当日まで一緒に研究室で課題をやっていたその友人が、その日の夜に近くの山道で首を括ってしまった事は物凄くショックな出来事だった。
それから暫らくは、何度もその自殺現場の木の根元に、他の友人達と花束とビールを備えに行っていた。
今から考えると、単なる若者の自己満足だったんだろうけど、当時は「私達はいつまでもあなたの死を忘れない」と、非業の死を遂げた友人への友情に酔っていたんだと思う。
そうして何度目かの現場参りの時に、突然「あんたら、いい加減にして!」と、おばさんに怒鳴られた。
そのおばさんの家はその現場のすぐ目の前で、家の玄関や窓から丸見えだった。
朝方に友人の自殺死体を見つけて通報したのも、そのおばさんだった。
それだけでもショックだったのに、何度もその現場に花束やら線香やらお酒やらをお供えしてあるのを見れば、嫌でもその時の光景が思い浮かぶ。
それに、おばさんの娘さん(高校生か中学生くらい)も、お供え物を見ると精神的に不安定になり、最近では怖がって家の中でも一人になるのを怯えるようになったそうだ。
私達はおばさんに謝り、用意した花束などを慌てて持ち帰って現場参りもそれっきりになった。
それからは、道路などで供養の花が供えてあるのを見ると、亡くなった方への気持ちよりも先に、その花を見させられる近所の人達の気持ちを考えてしまい、「ああ・・・迷惑な事だなぁ」と斜に見てしまうようになった。
(終)