蛙毒 5/5

それは水槽だった。

 

蓋がしてあり、

中で小さな何かが蠢いている。

 

コオロギだ。

 

水槽の中には、底を埋め尽くすほどの

コオロギが居た。

 

その大半は動かず、死んでいるようにも見えたが、

中には生きて動いているものも居る。

 

何にせよ、虫嫌いが見たら

卒倒しそうな光景だ。

 

果たしてこれは、蛙の餌だろうか。

 

私は想像する。

 

餌がここにあるということは、

このペットボトルの中の干からびた蛙たちは、

元々ここで飼われていたのかも知れない。

 

だとすれば、飲み口と蛙の大きさが

合わない疑問も解ける。

 

卵か、もしくはまだ幼体の蛙を

ペットボトルの中に入れ、

大きくなるまで飼育する。

 

そうしてある程度大きくなったところで、

陽の光を浴びさせ焼き殺す。

 

透明な壁に阻まれ蛙は、

逃げることも出来ない。

 

おそらく、このペットボトルに書かれた苗字は、

集落の人間のものだろう。

 

Oが学校に持って来たペットボトルには、

Oの苗字が書かれていた。

 

だからこそ、彼も特別興味を示して

拾って来た。

 

そして、彼は蛙を殺した上に、

その蓋を開けてしまった。

 

振り返ると、すぐ後ろにくらげが居た。

 

全く気付いていなかったので、

ほんの少し、どきりとした。

 

「・・・脅かすなよ」

 

私の言葉に、くらげは何度か

目を瞬かせて「ごめん」と言った。

 

私は辺りを見回す。

 

この庭には、他に見るべきものは

無いようだ。

 

入って来た門を見る。

 

門にはインターホンのようなものは

付いていなかった。

 

次いで、私は家の玄関に

視線を向けた。

 

「どうするつもり?」

 

くらげが言った。

 

私は答えの代わりに、

にっ、と笑ってみせる。

 

結果的に見るだけじゃなくなってしまったが、

気になるのだから仕方が無い。

 

「中に居るかな」

 

辺りに人の気配は無いが、もしかしたら

中で寝ているのかもしれない。

 

玄関の前に立つ。

 

門と同様、

チャイムのようなものは無い。

 

手のひらで扉を二度軽く叩く。

 

もし老人が家に居るなら、

少しだけでも話を聞きたいと思っていた。

 

あの蛙の入ったペットボトルは、

本当に呪具の類なのか。

 

もっとも、素直に話してくれるとも

思っていなかったが、

 

帰る前に本人の顔くらいは

拝んでおきたかった。

 

返事は無い。

やはり出かけているのだろうか。

 

「すみませーん」

 

中に向けて声をかける。

やはり返事は無い。

 

もう一度声を上げようとした時、私はふと、

何か妙な匂いを嗅いだ気がした。

 

据えた匂い。

 

家が古いからなのだろうか、

微かに漂ってくる。

 

特に顔をしかめるほどではなかったが、

私がその匂いを嗅いで真っ先に感じたのは、

何ともいえない嫌悪感だった。

 

蛙の死骸を見た時よりも、

 

無数のコオロギが詰められた

水槽を見たときよりも、

 

はるかに強い嫌悪感。

 

この扉を開けてはいけない。

警告が頭の隅をよぎる。

 

けれども私は、殆ど無意識に

玄関の取っ手に手を伸ばしていた。

 

私を動かしていたのは好奇心だ。

 

私はまるで傍観者のように、

自分の腕が戸を開けようとするのを

眺めていた。

 

私の腕を誰かが掴んだ。

 

その瞬間、短い夢から覚めたかのように

意識が鮮明になった。

 

振り向くと、

そこにはくらげが居た。

 

彼は私をじっと見ると、

ゆっくりと首を横に振った。

 

そのまま腕を引っ張り、

玄関から引き離そうとする。

 

「おい・・・」

 

思わず声を上げる。

 

くらげは立ち止まり、

私の方を振り返った。

 

そして、腕を掴んでいる手とは

逆の手を持ち上げると、

その手のひらを上にしてこう言った。

 

「雨が降ってきたよ」

 

ぽつり、と体のどこかに水滴があたった。

 

雨だ。

 

灰色の空から小粒の雨が

降ってきている。

 

「・・・帰ろう」

 

くらげが言った。

 

彼は相変わらずの無表情だったが、

腕を掴むその力は意外なほど強かった。

 

私は一度、後ろを振り返る。

古ぼけた家は相変わらずそこにある。

 

ただし、雨が降っているからか、

それとも別の理由か、

 

私の目にはその家が先程よりも明らかに、

古く、黒ずんで、歪んでいるように見えた。

 

私は目を閉じ、大きく息を吸って、

吐いた。

 

あの戸には鍵がかかっていた。

そう思うことにした。

 

「・・・帰るか」

 

くらげが私の腕を離す。

 

その様子は、どこか、

ほっとしているようにも見えた。

 

二人で門を出る。

 

自転車に跨ろうとすると、

何者かの視線を感じた。

 

辺りを見回すも、誰も居ない。

 

そこにはただ、

透明な檻に閉じ込められた蛙の死骸が、

無表情に私たちを見つめているだけだった。

 

「帰ろう」

 

立ち止まっている私に向かって、

くらげがもう一度言った。

 

私は黙って頷き、

ペダルに乗せた足に力を込めた。

 

私たちの街へと帰る間、

小雨は強くもならず弱くもならず、

ずっとぱらぱらと降り続けていた。

 

そしてまた、そんな雨を喜ぶかのような

「・・・っく、・・・っく」

という微かな蛙の鳴き声が、

 

自転車を漕ぐ私たちの後ろを、

どこまでも、どこまでも、付いて来ていた。

 

(終)

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