蛙毒 2/5
だからといって、
ここで殺す必要は何処にも無い。
しかし、そんなことをOに言っても
無駄だということは分かっていた。
私は、内蔵の飛び出た蛙の死体に
対してではなく、
O自身に対して気持ち悪さを覚えながら、
ただ軽蔑の視線を送るだけだった。
その後すぐにチャイムが鳴り、
蛙の死体が入ったペットボトルは、
証拠隠滅のためOによって、
廊下側の窓から学校裏の林に向かって
放り捨てられた。
とはいえ、Oのこのような問題行動は、
私たちのクラスにとってありふれたもの
だったので、
HRでも問題には上がらなかった。
問題は次の日からだった。
Oが学校に来なくなった。
最初は誰もが、ただの風邪か、
もしくはサボりだろうと思って
何も気にしていなかった。
ところがそれが三日四日と続き、
ようやくクラス内にも『どうしたのだろう』
という雰囲気が生まれていた。
Oの親は当初、単なる体調不良だと
学校に伝えていた。
しかし、一週間ほど過ぎたところで、
隠しきれないと思ったのか、
学校側にも真実を伝えた。
両親が言うには、
どうやらOは自分の部屋から
出て来なくなったらしい。
自分の部屋に鍵をかけ引きこもり、
母親が食事を運んでくる時だけ
僅かにドアを開けるだけだという。
理由は分からない。
担任の先生や、仲の良い友人が
家を訪ねたそうだが、
Oはドアを開けず、
「開けるな」「見るな」
と叫び追い返した。
突然引きこもりだしたOに、
両親も困惑していたそうだ。
幾日かかけて、母親はドア越しに
ようやくその理由を聞き出した。
「・・・体中に、イボが出来てる」
とOは語った。
顔にも手にも足にも、
水泡のようなイボが皮膚をまんべんなく
埋め尽くしているのだと。
しかし、それを聞いて母親は不審に思った。
彼女は食事を運ぶ際に、
僅かな隙間からだが彼を見ている。
少なくともその手には、
イボのようなものは見当たらなかった。
ある時、食事を運ぶ際に、
母親は意を決して扉を開いた。
Oはものすごい形相で何事か叫びながら、
力ずくで母親を追い出した。
けれども、やはり彼の体には
イボなど無かった。
ただ、おかしなところは、
もう一つあった。
引きこもってからのOは、喋る時に
よく声を詰まらせるようになった。
会話の節々に「・・・っく・・・っく」と、
喉の奥から空気を搾り出したような
音が引っかかる。
Oの友人のうちの誰かは、
「蛙の鳴き声のようだった」
と言った。
引きこもり始めて十日が過ぎた。
その頃には、Oはもはや、
言っていることすらおかしくなっていた。
食事もとらなくなり、
自分で鍵を閉めているにもかかわらず、
「出られない」
「ドアが開かない」
「透明な壁がある」
などと言い出した。
さらに、「熱い」「かゆい」と、
訴えるようにもなった。
さすがに手の施しようが無くなり、
父親が無理やり鍵を壊し、
Oを引きずり出して病院に運んだ。
その体にイボは見当たらなかったが、
代わりに体中を掻き毟ったらしい傷跡で
埋め尽くされていたそうだ。
入院中に何があったのかは知らない。
精神科に入院していたOが退院し、
学校に戻って来たのは、
新たな年も明けた約半年後のことだった。
戻って来たといっても、
以前の彼とはまるで違う。
口数も少なく、良くも悪くも
騒ぎ好きだった性格は影を潜め、
いつも何かに怯えている様な、
陰険な奴に変わってしまっていた。
しかも、話す際には必ず、
「・・・っく・・・っく」
と声を詰まらすのだった。
時間を夏に戻す。
彼が家に引きこもっている間、
クラスは『蛙の呪い』の噂でもちきりだった。
蛙の幽霊がOに取り憑いただの、
爬虫類の呪いは比較的強力だの。
中には、イボガエルに触れるとイボが移る、
といった古くからの迷信も含まれていた。
いくらなんでもOがかわいそうだ、
という意見もあった。
確かに、自業自得だとは思う。
ただしそれを言うなら、
私だってこれまでの人生、
蛙を殺したことくらいある。
こういう言い方は、人間至上主義と
呼ばれるのかもしれないが、
たった一匹の蛙を殺しただけで、
果たしてあれだけの症状が
出るものなのだろうか。
同情はしていなかったが、
不思議ではあった。
それに、他にもいくつか
気になることがある。
飲み口より大きな蛙を、
ペットボトルの中に入れる方法。
ボトルの表面に書かれていた、
Oの苗字。
そうして一番は、
そのペットボトルが何本も並んでいたという、
海沿いの家についてだ。
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