口内海 1/3

 

これは私が中学生だった頃の話だ。

 

そろそろ夏休みが待ち遠しくなる

七月後半。

 

その日、

 

私は山一つ越えた先の海で

一日中泳いでいた。

 

海水浴場ではない。

 

急な崖を降りた先に、

 

地元の子供たちだけが知っている

小さな浜辺があり、

 

夏の暇な日は、

 

そこへ行けば誰かしら

遊び相手が見つかる、

 

といった場所だった。

 

その日も顔見知りの何人かと

一緒に遊び、

 

共に日に焼けている身体を

更に黒くした。

 

海から出て、彼らと別れ、

 

家に帰り着いたのは、

午後六時少し前だっただろうか。

 

風呂に入る前に、

泳ぎ疲れて喉が渇いていたので、

 

私は台所で蛇口から直接コップに水を注ぎ、

ぐいっと飲んだ。

 

その時だった。

 

何か思う暇もなかった。

 

得体の知れない違和感を感じた時には、

それは一瞬にして猛烈な吐き気に変わり、

 

私は今さっき飲んだ水を、

シンクの中に吐き出していた。

 

喉がひりつき、

しばらく咳が止まらなかった。

 

蛇口から出てきたのだから、

 

何の警戒もなく真水だと

思ってしまったのだ。

 

私が呑み込んだのは、

普通の水では無かった。

 

それは紛れもなく塩水だった。

 

ようやく咳が治まり、

信じられなかった私は、

 

蛇口に人差し指の腹を当て、

水滴を舐めてみた。

 

海の味がする。

 

小さな頃、

 

海で溺れてしまった時に

呑み込んだ、

 

あの海水と同じ味だ。

 

しかし何故、蛇口から海水が

出てくるのだろうか。

 

うちの水は、

 

地下水をくみ上げているのでも

山から引いているのでもなく、

 

水道局から送られてきている

水のはずだ。

 

自然に塩分が混じるとは考えにくい。

 

「おーい、かあさん。

なんか蛇口から塩水が出るんだけど」

 

呼ぶと、

 

隣の居間から母親が

顔を覗かせた。

 

これは我が子を疑っている顔だな、

とすぐに分かる。

 

「嘘言いなさんな。

 

さっきそこで夕飯こしらえた

ばっかやのに」

 

「ホントだって、

ほら、これ、塩水」

 

コップに水を注ぎ、

母に渡した。

 

母は、しばらく疑わしそうに

匂いなど嗅いでいたが、

 

その内ちびりと口を付けると、

そのまま一気に飲み干してしまった。

 

「・・・アホなこといっとらんで、

風呂に入ってきんさい。

 

ほら、髪がぼそぼそやんか」

 

母はそう言って、

 

私の頭をわしゃわしゃと撫でて

居間に戻って行った。

 

釈然としなかったので、

 

私は再度蛇口から水を注ぎ、

口を付けた。

 

舌がしびれる。

 

やはり普通の水ではない。

 

どういうことだろう。

 

母が嘘を言っているのだろうか。

 

しかし、目の前で

一気飲みされてしまったのだ。

 

嘘をつくにしても

身体をはり過ぎだろう。

 

それに、

 

わざわざそんな嘘をつく必要が

どこにあると言うのだ。

 

おそらく、

 

一日中海で泳いでいたせいで、

味覚が変になっているのだろう。

 

私はそう自分を納得させた。

 

外から海水が染み込んで、

一時的に身体がおかしくなっているのだと。

 

ただそれが味覚の勘違いであれ、

 

塩水を飲んでしまったせいで

余計に喉が渇きを感じていた。

 

水道水はやめにして、

 

代わりに冷蔵庫を開けると

オレンジジュースがあったので、

 

それを飲むことにする。

 

コップに注ぎ、飲む。

 

そして、私は再びそれを

口から吐き出した。

 

塩水じゃないか。

 

愕然として、

 

まだ半分ほど残っている

コップの中の液体を見る。

 

色も匂いもオレンジジュースで

間違いないのに、

 

私が今飲んだのは明らかに、

オレンジ色をしたただの塩水だった。

 

その他も試してみた。

 

冷蔵庫の中にあった、

麦茶、牛乳、乳酸菌飲料。

 

冷凍庫の中の氷すらも、

塩辛い。

 

私は何も飲むことが出来なかった。

 

自分がおかしくなっているということは、

 

とりあえず風呂に行って浴びた

シャワーで確信出来た。

 

口に入ってくる水滴のせいだ。

 

身体はさっぱりしたが、

口の中と喉だけが熱く、

 

どうにも泣きたい気分だった。

 

その後、私は夕飯も食べずに、

母と一緒に病院に行った。

 

診察と検査をしてくれた医者は、

 

私の話を聞きながら、

首を傾げるばかりだった。

 

味覚障害だろうと告げられたが、

 

その場合、多くの原因である

内臓の異変もなく、

 

原因は分からないと言われた。

 

ただその時は、医者も親も、

 

そう深刻になることは無いだろうと

楽観視していたようだった。

 

私だけが言いようのない

不安を覚えていた。

 

意識的にコップ一杯程の海水を、

飲んだことのある人間はいないと思う。

 

いたとしても少数派だろう。

 

あれは到底飲めるものではない。

 

次の日から私は病院に入院し、

常に点滴で水分を取るようになった。

 

普通の方法ではどうしても水分を

取ることが出来なかったのだ。

 

たとえ成分がただの水であっても、

どうしても呑みこむことが出来なかった。

 

飲んだとしても、すぐに吐いた。

 

固形物も水分が多く含まれていると

無理だった。

 

お粥も駄目、果物も駄目。

 

果ては自分の唾液すら塩辛く感じられて、

しばしば水を飲まなくても嘔吐した。

 

吐き気は常に感じていて、

 

突然ベッドの上で吐き、

何度もシーツを汚した。

 

加えて、

熱や下痢もあった。

 

これは体調の悪化による

副次的なものだろうが、

 

しかしまるで私の身体の一部でなく、

全部が狂ってしまった様だった。

 

人間、物は食べなくても

ある程度生きていけるが、

 

水が飲めなければ

あっという間に死ぬ。

 

入院してから経った数日で、

驚くほど体重が減った。

 

(続く)口内海 2/3へ

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