黒服の人々 6/6

以前、どこかで聞いたことがある。

 

雨は、そのたった一度で、

驚くほど多くの生き物の命を奪うと。

 

生を失うのは、大抵は小さな生き物だ。

 

その一つ一つの魂が、

発光する小さなくらげとなり、

空へ向かって昇っていく。

 

祖母はその光景を見ていたのでは

ないだろうか。

 

そんな与太話を、くらげは黙って

聞いてくれていた。

 

私がしゃべり終えると、

彼は肯定も否定もせず、

 

窓の向こうの雨を見つめながら、

「そうかもしれないね」

とだけ言った。

 

またしばらく沈黙が続いた。

 

「おばあさんさ・・・。死ぬ前に、

くらげに何か言った?」

 

ふと、気になっていたことを尋ねる。

死に目には会えたと聞いていた。

 

人が人に伝え残す最後の言葉。

祖母は彼に何が言い残したのだろうか。

 

「・・・『強う気持ちを持っておらなぁ

いかんよ』」

 

くらげは、ゆっくりとその言葉を口にした。

 

「そう言った。・・・自分はもうじき

居なくなるから、って」

 

私は改めてくらげを見た。

 

その言葉はもしかしたら、そのまま

祖母の人生を表していたのかもしれない。

 

くらげに祖母がいたように、

彼女には誰か味方がいたのだろうか。

 

私は、玉串を納め終えた後も

しばらく離してくれなかった、

あの小さな手の感触を思い出した。

 

あの手は、私に何か伝えようと

していたのではないか。

 

祖母が死んで、くらげは一度も

泣かなかった。

 

次男は私にそう言った。

 

死者が見えるのだから、

悲しむ必要もないのだろう。

 

その言葉の裏にはそんな響きがあった。

 

私はあの野郎が嫌いだ。

 

悲しくないはずがない。

 

私は二人がどれだけ仲が良かったかを

知っている。

 

いくらそれらが見えたからといって、

死んだ者が生きている者と同じように

ふるまえるわけがない。

 

私はそれをこの家で学んだ。

 

死んだ祖父のために出された料理は、

決して減ることは無かった。

 

例え骨になるまで焼かれても、

例え雪の降るなか突っ立っていても、

 

死んだ者は

熱さも寒さも感じることは無い。

 

いや、例え感じていたとしても、

私たちにそれを知るすべはない。

 

悲しくないわけがない。

 

私は自分の肩に手をやった。

柔らかな綿の感触。

 

まだ、祖母の赤いちゃんちゃんこを

着たままだった。

 

このまま着て帰りたい気持ちもあったが、

一旦脱いで、彼の前に差し出した。

 

「これ、返す」

 

彼はそのちゃんちゃんこをじっと見つめ、

それから「・・・うん」と言って手に取った。

 

「・・・それ着てみろよ。

すんげぇあったかいから」

 

彼は無言でちゃんちゃんこを羽織った。

意外と似合っている。

 

「なっ」と私が言うと、

彼はまた「・・・うん」と呟き、

 

そのまま抱えた両膝に顔をうずめた。

 

そうして彼は、まるで眠ってしまったかの様に

動かなくなった。

 

本当は、彼の母親のことを

訊こうかとも思っていた。

 

一歩間違えればそうしていた。

 

私は彼を問い詰め、そして彼はきっと

正直に答えてくれただろう。

 

私は寸前で、これ以上彼を追い詰めずに

済んだのかもしれない。

 

きっと彼だって、張り詰めた糸のような均衡で

保たれていたに違いないのだ。

 

訊くべき時。

それは決して『今』ではなかった。

 

その名を呼ぼうとして、

私は口をつぐんだ。

 

膝に顔をうずめ動かない彼に、

それ以上かけてやるべき何かを

私は持ってはいなかった。

 

あったとしても彼には届かなかっただろう。

 

当時の私たちは、

まだほんの子供だった。

 

だからせめて、私は彼が顔を上げるまで、

そこで待つことにした。

 

寝転がると、一階の大広間の話し声が

微かに聞こえた。

 

大きな家だから、なかなか声も

届かないのだろう。

 

耳を澄ますと、すぐ窓の向こうに降る

雨音の方がよく聞こえた。

 

たとえ彼が母親を殺していたとしても、

たった一つ、これだけは言える。

 

彼は、いいヤツだ。

 

寝転び、窓を見上げたまま、

私は目を閉じた。

 

暗闇の中では、幾千幾万というくらげが

色とりどりに薄く淡く発光しながら、

 

どこへ続くかもわからない空へと

吸い込まれていった。

 

(終)

シリーズ完。

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