転校生と杉の木 1/4

これは、私が小学校六年生だった頃の話だ。

 

四月中旬。

 

私はその日の放課後、一人居残って

教室の掃除をしていた。

 

不注意で花瓶を割ってしまったのだ。

 

ガラスは担任が片付けてくれたが、

濡れた床の掃除を命じられ、

 

おかげで校門を出た時間は、

他の『まっすぐ帰る組』よりも

数十分遅れていた。

 

昨夜はひどい雨だった。

 

校庭に植えられた桜は、

ほとんど散っている。

 

道には花弁が散らばり、

足元にある水溜りは桃色をしていた。

 

いつもなら、水溜りなど気にせず

踏み越えて行くのだが、

 

その日ばかりは、

チョロチョロと避けて歩く。

 

帰宅途中、

私が昔通っていた保育園の前を、

過ぎようとした時だった。

 

道路の端で、

誰かが園内に生えている、

大きな杉の木を見上げていた。

 

同じ学校の生徒だろう。

黒いランドセルを背負っている。

 

見覚えある横顔。

 

彼は始業式の日に、

私のクラスに転校してきた生徒だ。

 

彼は、一風変わった転校生だった。

 

転校初日の全ての休み時間、

彼は一度も教室に留まることをしなかった。

 

休み時間が始まると一人教室を抜け出して、

いつの間にか居なくなっているのだ。

 

次の日からもそうだった。

 

転校生にとって、

転校初日は友人を作る上で

最も重要な日だろう。

 

その重要な日の休み時間に、

自ら教室を出ていく。

 

つまりは、そういうことだ。

 

人嫌いの変わり者。

それが周りの彼に対する評価だった。

 

その転校生が私の目の前で、

じっと杉の木を見上げている。

 

園内には、

サイズの小さな遊具で遊ぶ子供たちと、

それを見守る保育士の先生の姿があった。

 

私も昔、同じようにここで遊んだ。

 

私は保育園が大好きな子供で、

休みの日でも「やだー。保育園行くー!」

と泣き喚いて親を困らせたらしい。

 

杉の木は園内の隅に生えている。

 

きっと、街が出来る以前から、

そこにあったのだろう。

 

幹は太く、高さは周りの家々の

三倍はある。

 

建材用のまっすぐ伸びた杉ではなく、

 

見ようによっては、

身をよじった人のようにも見え、

 

根元には『みまもりすぎ』と、

名札が掛けられてある。

 

私が園児だった頃からすでに、

その杉の木は『みまもりすぎ』だった。

 

転校生の横を過ぎざまに、

私はちらりと杉の木を見上げてみた。

 

彼は何を見ているのだろうか。

 

漠然と、枝に止まった鳥でも

見ているのだろうと思っていたが、違った。

 

白い靴が二足、

空中に浮かんでいた。

 

不思議な光景だった。

 

足はそのまま歩きながら、

首だけがその靴を追う。

 

可動域の限界まできたところで、

私は立ち止まった。

 

杉の木の方に身体も向けて、

もう一度見る。

 

一組の白い運動靴が、つま先を下にして、

私の頭より高い場所で浮かんでいた。

 

その一~二メートルほど上には、

太い枝が真横に張り出していて、

そこから細い糸で吊るしているのだろうか。

 

しかし、一体どういう理由で。

 

ふと気がつくと、

先に杉の木を見上げていた彼が、

いつの間にか歩き出していた。

 

何事も無かったかのように平然と、

私の横を通り過ぎる。

 

私は振り返り、

その背中に声をかけようとした。

 

けれど、

何と言えば良いのか分からない。

 

まごまごしているうちに、

彼は角を曲がり、

その姿は見えなくなった。

 

一人取り残された私は、

もう一度杉の木を見上げた。

 

何もない。

白い靴は消えて無くなっていた。

 

その場に立ちつくし、

茫然と杉の木を見上げる。

 

幻覚、錯覚、見間違い。

 

しかし、私の見たものが見間違いなら、

彼が見ていたものは何なのだろう。

 

その日、家に帰ってから、

私は母に今日あったことを報告した。

 

二足の白い靴が、

保育園の大きな杉の木の下に

浮かんでいたと。

 

ちょうど夕飯の買い物に

行こうとしていた母は、

 

玄関へと向かいがてら、

私の頭をわしゃわしゃと撫でて一言、

 

「アホなこと言いなさんな」

と言った。

 

日付は変わり、次の日のこと。

 

学校に行く途中、

保育園の前を通り過ぎる際に、

私はあの杉の木を見上げてみた。

 

白い靴など、影も形も見当たらない。

 

角度を変えたり目を細めたりしたが、

やはり何も見えない。

 

ふと、柵の向こう、

園内から一人の赤い頬をした

小さな男の子が、

 

私のことを不思議そうに、

見つめていた。

 

私は取り繕うように笑って、

そそくさとその場を後にした。

 

やっぱり見間違いだ。

 

母の言う通り。

アホなことだったんだろう。

 

幾分ホッとした私は、

以降しばらくの期間、

 

白い靴のことを、

思い出すことはなかった。

 

そうして、それからしばらく経った日のこと。

 

(続く)転校生と杉の木 2/4へ

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