転校生と杉の木 4/4

細かく説明されるごとに、

『彼女』の見える部分が増えてゆく。

 

「首に、ロープが食い込んでる」

 

縄が見えた。

 

張り出した枝から垂れたロープが、

白く細い首に絡まっている。

 

「女の人だね。ショートヘアで、

舌がちょっと出てて、目は・・・

君の方を見てる」

 

そう言ったのを最後に、

彼は私の手首を掴んでいた手を離した。

 

顔が見えた。

私にはもう何もかも見えていた。

 

その足も、

その手も、

その身体も、

その顔も、

口から少し飛び出た舌も、

 

瞬きもせずじっと私を捉える、

その虚ろな目も。

 

「・・・あ」

 

思わず声が出ていた。

どうして今まで気づかなかったんだろう。

 

私はその人を知っていた。

 

彼女は、私がここの保育園で

年中組と年長組だった時に、

世話になった先生だった。

 

私が幼い頃、

母は入退院を繰り返していて、

小さな私は寂しい思いをしていた。

 

だから、十分に母に甘えられない分を、

私は保育士だった彼女に、

求めたのかもしれない。

 

私は、よく先生の足に

縋りつくのが癖だった。

 

まるで猿やコアラの赤子のように。

 

彼女は私を足にくっつけたまま、

「よいしょよいしょ」と歩くのだ。

 

そのまま他の用事をすることもあった。

優しい人だった。

 

その先生が首を吊って死んでいる。

 

私はそっと手を伸ばして、

その白い運動靴に触れようとした。

 

指の先が少し触れたが、

感触はどこにも無く、

私の指は空を掻いた。

 

触れられない。

 

「大丈夫?」

 

気遣ってくれているのだろうか。

 

「・・・知ってる先生なんだ」

 

私は答える。

 

それは自分でも驚くほど、

冷静な声だった。

 

おかしなことに、先生の死体を前にしても、

実感はまるで湧かなかった。

 

それは、テレビの向こう側で行われる、

有名人のお葬式のようだった。

 

ロープで木にぶら下がった彼女は、

ずっと私の方を見ている。

 

もしかしたら、

私と彼女が知り合いであることに、

 

彼は最初から、

気付いていたのかもしれない。

 

「『見守り杉』っていうんだねぇ、

・・・この木」

 

隣で彼が小さく呟いた。

 

それから、どこで彼と別れて、

どうやって家で帰ったのかは、

記憶にない。

 

家に帰ってから、

私は母に事情を聞いた。

 

先生の名前を出すと、母は観念したようで、

色々と話してくれた。

 

黙っていたのは、

忘れているのならそのままの方がいい、

と思ったからだという。

 

先生は自ら命を絶った。

失恋の果ての自殺。

 

時期は、私が保育園を卒園して、

すぐのこと。

 

恋人は、当時同じ保育園に勤めていた人で、

私の記憶にもある人物だった。

 

破局の理由は喧嘩でも浮気でも無く、

先生の生まれ育った場所にあった。

 

周りから忌み嫌われる土地。

 

知識としてはあったが、

そんなものはずっと昔の話だと

思っていたし、

 

何より理不尽で、

やりきれなかった。

 

母は「あんた一時期、あの先生のことを、

『お母さん』って呼んでたんよ」と言って、

懐かしそうに笑った。

 

記憶の中の先生の姿が、

目の前の母と重なる。

 

私の目から涙がぽろぽろと、

勝手にこぼれ落ちた。

 

先生は死んだのだという実感が、

ようやく沸いてきたのだ。

 

私は小さな子供のように泣いた。

 

そんな私の頭を母は、

わしゃわしゃと撫でてくれた。

 

翌日。

 

私は登校中に、

保育園に立ち寄った。

 

門の傍には一人の保育士がいた。

 

私はその人に、

前日に母に用意してもらった

小さな花束を渡す。

 

杉の木の下に供えてくれるようお願いすると、

その年配の保育士は心得ているのだろう。

 

一瞬嬉しそうな、それでいて

寂しそうな表情をした。

 

「ありがとうね」

 

彼女は私に向かってそう言った。

 

私は一度だけ杉の木の方を見たが、

先生の姿はどこにも見えなかった。

 

保育園に背を向けて、

私は歩き出す。

 

涙は出ない。

 

先生のための分は、どうやら昨日のうちに

出し尽くしてしまったようだ。

 

学校までの道、

小学校の校門の前で、

 

私は見覚えのある

黒いランドセルを見つけた。

 

彼だ。

 

その背に声をかけようと口を開く。

しかし言葉が出てこなかった。

 

足が止まり、

私はその場で立ち止まる。

 

彼が抱える病気。

 

『近づかない方がいい』という彼の言葉。

 

私を見下ろしていた先生の目。

 

見える、ということ。

 

様々な言葉や事柄が頭の中を駆け巡り、

その背を追いかけることを躊躇わせた。

 

覚悟。そう言ってもいいかもしれない。

 

当時の私は、まだそれを、

持ってはいなかった。

 

だから、私が彼のことを

『くらげ』と呼ぶ様になるのは、

もう少しだけ先の話になる。

 

後ろから肩を叩かれた。

 

「ねえ、何ぼーっと突っ立ってんの?」

 

振り向くと、そこにはクラスメイトの女の子が、

疑問符を頭の上に出して私を見ていた。

 

若干慌てつつ「何でもないって」と答えると、

彼女はより不思議そうな顔をして、

 

「何か変なものでも見たのー?」

そう言って屈託なく笑った。

 

(終)

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