ノック 2/10
これがピンポンダッシュなら、
どうしてインターホンではなくて
ノックなのだろうか。
本当は、ここでいきなりドアを開けて
逆に驚かしてやろうと思ったのだけれど、
その前にと僕はドアに顔を近づけ、
そっと覗き穴から外の様子を覗いてみた。
魚眼レンズを通して見る、
一点を中心にぐわりと湾曲した
玄関先の光景。
そこに見えるのは、
赤ペンキが塗られた手すりと、
コンクリートの通路だけだった。
誰の姿もない。
ドアを叩いて音を出すようなものは
何も無い。
コンコン。
ノックの音。
外の様子を覗いている
最中だった。
その意味を理解した途端、
首筋、うなじの辺りが
粟立つのを感じた。
姿が見えないモノのノック。
残っていた眠気が
綺麗に吹き飛ぶ。
どうやら、金属のドア一枚
隔てた向こう側に、
得体の知れないナニカが
居るらしい。
その時、
アパートの階段を上って来る
足音が聞こえて身構える。
足音はこちらへと向かって来る。
覗き穴の前を、
買い物袋を下げた人が
通り過ぎた。
同じアパートに住む
隣人だった。
反射的に僕はドアを開いて
外に出ていた。
そして部屋に入ろうとしていた
隣人を呼び止める。
僕「あの、すみません」
隣人とはあまり親しくは無く、
会えば挨拶する程度だ。
確か僕より一つ二つ年上で、
学部は違うけれど同じ大学に
通っているくらいにしか知らない。
どうやら昼ご飯を買って来たらしい彼は、
突然呼び止められ、
一体何事かと僕を見やった。
隣「はあ、え、何?」
僕「今さっき。僕の部屋のドアを、
誰か叩いてませんでした?」
隣「いや、見てないな。
俺は叩いてないよ?」
僕「ここまで上がって来る時、
誰かとすれ違いました?」
隣「いや」
僕「ノックの音とか聞きました?」
隣「・・・いや」
僕は確信する。
やはりこの通路には
最初から誰も居なかったのだ。
僕「そうですか・・・。分かりました。
ありがとうございます」
隣人はどうにも釈然としない
表情をしていたけれど、
それ以上関わり合いになることも
ないと思ったのか、
「じゃ」と言って、
自分の部屋に入って行った。
僕も部屋に戻る。
扉を閉めると、
途端にノックの音が再開した。
とりあえず構うことはせず、
台所で砂糖入りのホットミルクを作って、
居間に戻り、
ベッドの縁に腰掛けて
ゆっくり飲んだ。
飲みながら現状を確認する。
もはや子供のイタズラである可能性は
低いだろう。
だとすれば、
いわゆるラップ音と呼ばれる
現象と同じ類だろうか。
今のところ被害は音だけ。
それ以上の害が無いなら、
放っておいてもいいのかもしれない。
けれども、と思う。
どうして『今日』で、
『僕の部屋のドアを叩く』のだろうか。
大学生活のため、
このアパートに越して来て
大分日が経つけれど、
こんな現象は今日が初めてだし、
この部屋が曰く付きだなんて話は聞いてない。
部屋が原因で無いとしたら、
原因は僕自身にあるってことになる。
部屋のドアをしつこく何度も
叩かれる原因を、
どこかで作ったのだ。
一つだけ、
微かな心当たりがあった。
ホットミルクを飲みほした後、
僕は携帯を取り出して、
友人のKに電話をかけた。
コール音が耳元で何度も
繰り返される。
結局Kは電話に出なかった。
たぶん寝ているんだろう。
Kは自他共に認める
オカルティストなので、
色々と相談したかったのだけれど。
次に僕はもう一人、
友人のSに電話をかけた。
数回のコールの後、
S『・・・何だよ』
とSの声が聞こえた。
僕「あ、Sー?僕だけど」
S『ンなこた分かってる。
要件を言え』
Sの声は少々不機嫌だ。
どうやら彼も寝起きらしかった。
僕「じゃあ、簡潔に。
あんさ、昨日肝試しに行った
場所までさ、
もう一度連れてって
欲しいんだけど」
今からまだ数時間前の
今日のことだ。
真夜中、僕とKとSの三人は、
ここから大分遠い街の、
女性と子供の霊が出る
と噂の古民家へと、
肝試し兼オカルトツアーに
繰り出していた。
それ自体はいつものこと
なのだけれど、
街までが非常に遠かったため
帰りが朝方になり、
そのせいで今日は三人とも
起きるのが遅い。
古民家では何も見なかったし、
何も起こらなかったのだけれど、
もしかしたら、
いわゆる『お持ち帰り』を
してしまったのかもしれない。
S『昨日の?・・・理由は?』
と訝しげなSの声。
僕はつい先ほど体験したことを
かいつまんで説明する。
これがオカルティストのKなら
ノって来るのだけれど、
Sは超常現象と聞くと
鼻で笑うタイプの人間なので、
何時『・・・くだらねぇ』と言われ
電話を切られるかと、
ドキドキしながらの説明だった。
昨日だって、
Sだけは肝試しでは無く、
夜の長距離ドライブという
感覚だったに違いない。
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