魚 2/2
その名前のない悪魔は、
呼び出した人間の『あるもの』を食べるかわりに、
災厄を招くのだという。
「願いを叶えてくれるんじゃないんですか?」
思わず口をはさんだ。
普通はそうだろう。
しかし、
「だからこそやってみたかった」
と京介さんは言う。
京介さんを召喚者として、
その儀式が行われた。
その最中に、
京介さんとリーダーを除いて
全員がてんかん症状を起こし、
その黒魔術サークルは以後、
活動しなくなったそうだ。
「出たんですか、悪魔は」
京介さんは一瞬目を彷徨わせて、
「あれは、なんなんだろうな」
と言って、
それきり黙った。
オカルト好きの僕でも、
悪魔なんて持ち出されると
ちょっと引く部分もあったが、
ようは『それをなんと呼ぶか』、
なのだということを、
オカルト三昧の生活の中に学んでいたので、
笑い飛ばすことはなかった。
「夢を食べるんですね、そいつは」
あの気になっていた一言の意味と繋がった。
しかし、
京介さんは首を振った。
「悪夢を食べるんだ」
その言葉を聞いて、
背筋に虫が這うような
気持ち悪さに襲われる。
京介さんはたしかに、
「私は夢をみない」
と言った。
なのに、
その悪魔は悪夢しか食べない・・・
その意味を考えてぞっとする。
京介さんは眠ると、
完全に意識が断絶したまま
次の朝を迎えるのだという。
いつも目が覚めると、
どこか身体の一部が
失われたような気分になる・・・
「その水槽にいた魚はなんですか」
「わからない。
私は見たことはないから。
たぶん、
私の悪夢を食べているモノか、
それとも・・・
私の悪夢そのものなのだろう」
そう言って笑うのだった。
京介さんが眠っている間にしか現れず、
しかも、それが見えた人間は、
今まで二人しかいなかったそうだ。
「その水槽のあるこの部屋でしか、
私は眠れない」
どんな時でも部屋に帰って寝るという。
「旅行とか、どうしても泊まらないと
いけない時もあるでしょう?」
と問うと、
「そんな時は寝ない」
とあっさり答えた。
たしかに、
飲み会の席でもつぶれたところを
見たことがない。
そんなに悪夢をみるのが怖いんですか、
と聞こうとしたが止めた。
たぶん、悪夢を食べるという
悪魔が招いた災厄こそ、
その悪夢なのだろうから。
僕はこの話を丸々信じたわけではない。
京介さんの、
ただの思い込みだと笑う自分もいる。
ただ、
昨日の夜の暗闇の中で閃いた鱗と、
何事もないように僕の目の前で
コーヒーを飲む人の強い目の光が、
僕の日常のその隣へと通じるドアを
開けてしまう気がするのだった。
「魚も夢をみるだろうか」
ふいに京介さんはつぶやいたけれど、
僕はなにも言わなかった。
(終)
次の話・・・「将棋 1/2」