見覚えのあった帽子とジャンバー
内科病棟によく入院して来る、72歳の中野さん(仮名)という男性がいた。
糖尿病のコントロール不良なのだが、病院スタッフに対していつも怒鳴り散らしていた。
動けるにも拘らず、夜間にナースコールを押して看護師を呼びつけ、「そこのティッシュ取れ」と命令するような男性だった。
スタッフからは嫌われていたし、中野さんもそれを自覚していたと思う。
しかも、こっそりお菓子を買い食いしたり、知人にお菓子を差し入れさせたりして、治療する気があるのかないのか分からない男性だった。
家族のお見舞いはなかったが、床頭台には夫婦写真を飾っていた。
夫に土産物を買って来たのに・・・
ある日、中野さんは牛乳パックに酒を仕込み、それが看護師にバレた。
まあ飲んだら匂いや顔色、態度でバレるので当然といえば当然。
それも一度や二度ではなかった。
ケース検討にも何度も上げられるようになり、問題視されるようになった。
10月のある夜、私は遠方の友人と食事した為、普段通らないバイパスを運転していた。
眼下に田園が広がる高架上に、ジャンバーを着た初老の女性が立っていた。
自動車専用道路に何故人が居るのか?と思ったが、生きている気配がしなかったので、無視して通りすぎようとした。
・・・が、その女性の帽子やジャンバーに見覚えがあったので、路肩に車を停めて寄ってみた。
案の定、生きてはなかったが、彼女に話を訊くと、ワゴン車に乗って友人達と出掛けたが、帰りに大型トラックに撥ねられたとのこと。
夫に土産物を買って来たのに、渡せなくて困っている。
周りがよく見えないし、動けない。
早く帰りたいのに、ということだった。
「いや、無理でしょ」と私は思ったが、まあ知り合ったのも何かの縁だろうと名前を訊いてみたら、中野○○と名乗った。
もしかして・・・と、「中野●●さんをご存じですか?」と訊くと、なんと彼女の旦那だった。
糖尿病で入院中と伝えると「やっぱりね」と頷いていたが、彼女の渡したかった土産物は生きている中野さんには渡せない。
というか、彼女をそれを持ってさえもいない。
それを伝えると、彼女はそれに気付いていなかったらしく、さめざめ泣いていた。
死んでいることにも気付いていなかったので、うっかり者と言えばうっかり者である。
一応彼女を車で連れて帰り、一晩車内で放置の後、翌日病棟に連れて行った。
バイタルチェックの時、彼女を中野さんの隣に立たせたが、中野さんは気付かない。
彼女が話しかけても、全く気付かない。
仕方ないので、私が中野さんに話しかけた。
「伊勢名物の赤福をご存じですか?」
中野さんは驚いて、大好物だったと答えた。
「奥さんがお土産に渡したかったけど、渡せなくてごめんなさいと言ってました」
中野さんは、ぽかんとして固まっていた。
「貴方を看取るという約束も守れなくてごめんなさい、と」
中野さんは泣き出した。
90年代初頭の12月、奥さんは仲良しの友人たちと出掛けて事故死したらしい。
一度に数人が亡くなる事故で、当時は全国ニュースにもなったそうだ。
奥さんは一生懸命に中野さんを撫でていたが、中野さんは泣き止まない。
しょうがないので、無理矢理に中野さんの手を奥さんの手に当てた。
中野さんはハッとして泣き止んだ。
奥さんは微かに笑うと中野さんに何か囁いて、会釈していなくなった。
心残りが無くなったのかもしれない。
床頭台の写真の奥さんは、亡くなった時と同じ服装だった。
それで見覚えがあったのだろう。
中野さんはそれから大人しくなった。
元々、文句を言いながらも入院には同意していたので、彼なりに苦悩もあったのだろう。
2年後の74歳の時、骨折して入院したが、軽度の認知症も併発しており穏やかになっていた。
「朝ごはん食べたかのー?お、食べたんか、そうか」
毎日食事の事ばかり尋ねていたが、愛嬌があるのでスタッフからも人気があった。
認知症になると被害的な発言が増えるのだが、そういうことは全くなかった。
時々赤福を買ってもらっては、食事制限のない人に配っていた。
が、以前の不摂生もあってか、HbA1c(ヘモグロビン)の数値も思わしくなく、骨折は治ったが視力や腎臓に障害が出てきた。
私が退職した頃には透析も検討していたので、今は存命でないかもしれない。
その後、私は「あの中野さんを泣かした」としばらく誤解されていた。
不本意すぎる。
ほんのりどころか糖尿病は怖いので、皆さんも暴飲暴食にはご注意を。
(終)