キノコが人の形をして生えている
もう二十年も前になりますが、山で体験したことです。
私は当時釣りに凝っていまして、一口に釣りといっても色々なジャンルがありますが、その頃は山行をかねての渓流釣りがメインでした。
むろん竿と大荷物を背負ってですので、山行といってもハードな山登りではありません。
秋の連休に年休をプラスして一週間以上の休みを取り、場所は詳しくは言えませんが東北の●●岳近くの渓流への単独行を計画したのです。
関東からは随分と長距離のドライブでしたが、休み屋の駐車場に車を預かってもらい沢へと入りました。
逃げろ!俺のようになりたいのか
好天に恵まれ、釣っては放流を繰り返しながら水源の方へと登っていきました。
二日目に入り、川の岸辺に木がなく一反歩(300坪)ほどの草地になっている所に出ました。
こういう場所は、大抵は林でなくとも灌木(低木)の生い茂る藪になっているものですが、短い草がびっしりと生えていて、テントを張るにはまさにうってつけです。
そして、やはり先客が張ったらしいカーキ色のテントがありました。
その人は河原に出て竿を出していて、私の姿を見つけると気軽に声をかけてくれました。
六十歳代の定年退職をされた方で、この渓流で昨年この場所を見つけ、今年はここをベースにして行動しているとのことでした。
そして、興味深い話を聞かせていただきました。
「君、菌輪という言葉を知ってるか? 菌環ともいうし、外国ではフェアリー・リングというらしい。夜に妖精が輪になって踊り、疲れて眠ったところに朝日を浴びるとキノコと化してしまう。そういう伝説があるんだな。ここがそれみたいなんだよ、ほら」
※菌輪(きんりん)
キノコが地面に環状(あるいはその断片としての弧状)をなして発生する現象、あるいはその輪自体のことである。(Wikipediaより引用)
そう言って案内してもらいましたが、確かに草地の周りを真円に近い形でひょろひょろしたキノコが取り囲んでいます。
「調べたんだが、これはハラタケというのの仲間らしい。菌輪の出来る原因についてはよく分かってないけど、これらのキノコは地中で菌糸が繋がっていて、全体が一つの細胞の一つの生命体だという説もある。面白いだろう」
そして菌の力が強力で、共生している芝以外の植物が生えないのではないかという推論も話してもらいました。
この菌輪は大きいものでは直径五百メートル以上になり、菌としての年齢は数百年を越える場合もあるのだそうです。
「でね、この大きな菌輪の中に、さらにあちこちに小さい菌輪が出来てるんだよ」
確かに、直径数メートルから数十センチの菌輪があっちこっちに見られます。
小さいものは様々な形をしていて、真円のものはむしろ少ないようです。
「これなんか変な形だろ。人の寝姿に見えないか?こことあともう一体あるんだ」
それを見た時に私は、不謹慎かもしれませんがテレビドラマなどで警察官が死体のあった場所に描く、人型の白線を思い浮かべてしまいました。
「こんな風に生えるには、我々には想像もつかない理由があるのかもしれないね」
私は数こそ出るものの大物が釣れない今回の釣果には満足していませんでしたので、さらに奥まで入り二日後に引き返して来ることにしていました。
その方はまだここにいるとのことでしたので、再開を約束してその場は別れました。
かなり体力を消耗しましたが、奥には大きな岩魚がおり、私は十分に堪能してその場所に引き返して来ました。
もう夕方になっていたので、一緒にテントを並べて一泊しようと思ったのです。
カーキ色のテントはそこにありました。
まだ寝るには早い時間と思い、中に声をかけてみました。
「・・・うううっ、誰だ!?」
その方の声ですが、妙にくぐもっています。
「二日前に通った者です。どうしました?具合でも悪いんですか?」と私。
「・・・いや、何でもない。ちょっと怪我をしたんだ。それよりここに泊まるんじゃない。もっと下れ」
単独行で怖いのは、やはり怪我です。
滝登りなどで足を滑らせて骨折でもしたりすると命取りになります。
特にこのような人の来ない場所では。
「大丈夫ですか?麓から応援を呼んで来ましょうか?」
「いや、いらない。あんたはこの場を立ち去れ。早く、夜が来る前に」
「いや、そうは言っても・・・」
すると、テントの前で屈んで話している私の前に、ジッパーの間からヌッと枯れ木のようなものが突き出されたのです。
びっしりと生白いキノコが生えた、人の手であってそうではないようなおぞましいもの。
テントの中からは、大きな唸り声が聞こえます。
「ううう・・・逃げろ、とにかく逃げるんだ。奴らは皆わかってるんだぞ。俺のようになりたいのか!」
私は急に怖くなり、「救援を呼んで来ますから」と一声残して走って沢を下りました。
そのうちに夜になりましたが、何度も転びながら何時間も駆け続け、どうにか県道の通る場所まで下りました。
通りかかった車を止めて事情を話し、翌日の朝には地元の山岳会の方などを案内してその場へと戻りました。
テントはそのまま残っていましたし、荷物もそこにありました。
しかし、その方の姿はどこにも見えません。
とりあえずテントは畳むことにしましたが、中にはあのキノコがたくさん散らばっていました。
ペグを外してテント全体を持ち上げた時、その下の地面にキノコが小さく頭をのぞかせていることに気付きました。
そして、それは人の形に生えかかっていたのです。
その後は警察も出て大掛かりな捜索がなされましたが、その方の行方は杳(よう)として知れず、遭難扱いとなりました。
私はそれ以来、渓流釣りはもちろん、山にも入っていません。
(終)