東日本大震災1年後の石巻で見たとある集落
これは、東日本大震災の1年後に石巻市へ仕事で行った時の話。
タクシーでの移動中、市内の大川小学校の辺りを通った。
ここは、津波で逃げ遅れた子供たちが大勢亡くなった小学校だ。
予定の時間まで少し余裕があったので、ちょっとだけ車から降ろしてもらい、手を合わさせてもらった。
ビルがまるでサイコロのように転がっていたりと、まだまだ震災の被害が多く残っており、そこかしこで工事が行われていた。
その後、中心部に戻ったのだが、その大川小学校の近くに、“全く被害を受けていない集落”があった。
海岸の近くで高台にあるわけでもなく、むしろ坂を下った窪地のような所にある集落だ。
あまりに普通の光景だったので、思わず運転手さんに「ここは津波が来なかったんですねぇ」と尋ねた。
そしたら、こんな答えが返ってきた。
「全然被害がないでしょ?この集落はなぜか津波が来なかったんですよ。集落の入り口で津波が引いていったみたいでね。ここは熱心に菩薩様を祀っているから、そのおかげですかね」
その集落は平和そのもので、同じ市内の他の場所と比べると明らかに違っていたので、それが逆に異様に見えて少し戸惑った。
参考
この話と似たようなエピソードが、阪神淡路大震災などでもある。
教会が全壊したにもかかわらず、キリスト像の後ろで炎が止まり、奇跡的にキリスト像が残ったという話。※参考:Google検索(阪神淡路大震災 キリスト像 たかとり教会)
他にも、旧丸ビルにおいては、関東大震災や東京大空襲で辺り一帯が焼けた時も、ビルの安全を願って埋められた観音像のおかげでポツンと焼け残ったという話もある。※参考:安全守った「観音像」
(終)