またあの女は近づいて来ている
これは、10年くらい前にあった話になる。
その日の仕事が終わり、家に着いたのが22時30分頃。
ビールでも飲もうかと冷蔵庫を見ると、切らしていたので買いに行くことにした。
当時は団地にある実家に住んでいて、酒屋には歩いて10分くらいだった。
団地の中央を通る道を行けば、自販機の販売停止の23時にはまだ間に合う。
俺は急いで酒屋に向かった。
・・・と、その時に、路上駐車している車の陰にうずくまる人がいた。
それは白いワンピース姿に長い髪の女だった。
この話は人にしてはいけない
最初は向かいの団地で話をしている4~5人の女の子達の友達がイタズラでもしているのかと思い、あまり気にせずにその横を通り過ぎようとした。
しかし目の前まで行くと、何かが変なことに気付いた。
街灯に照らされた車の陰なのに、ボンヤリと光っている。
急に怖くなった俺は見ないようにしていたが、つい横を通る時に見てしまった。
すると、その女は顔を上げて、俺を睨みつけるようにギッと見ていた。
その瞬間、「ヤバイ!」と思った俺は、走ることも出来ずに酒屋に向かった。
その間、何故だか絶対に振り向いてはいけないような気がしていた。
今思うと不思議なのは、そんな状況の中でもビールを3本も買っていたことか。
帰り道は好奇心もあったが、やはり怖いので団地をグルッと回って遠回りをして早足で帰った。
そんな思いまでして買ったビールだったが、結局は1本だけ飲んで寝てしまった。
本当にヤケに不味いビールだった。
しかしその夜、人生で初めての金縛りに遭った。
何が何だか分からないでいると、部屋の天井の角に『あの女』の顔があった。
長い髪の白い顔が俺を睨みつけていた。
どれくらいの時間が経ったか分からないが、目を瞑ることも視線を外すことも出来ず、俺はひたすら女を見続けることしか出来なかった。
瞬きすらしていなかったのかもしれない。
そしていつの間に気を失ったのか、朝を迎えていた。
起きた時に強烈なダルさに襲われた俺は、熱を計ってみると39度近くあった。
風邪でも引いたか?と思い、会社に電話を入れて急遽休みをもらった。
その日からまさに三日三晩、あの女のせいでうなされることになった。
当初は夜にしか見えかったが、日が経つにつれ、昼間でも見えていた。
夢か現実か分からない中で、「ああ、俺は死ぬのか?」なんて漠然と思っていた。
その夜、ふと目が覚めると、金縛りの中で女の顔が真上にあった。
それも少しづつだが近づいて来ているような気がした。
でも何か変だ・・・。
いつもの景色ではなかった。
何故か俺は浮いていた。
たぶん1メートルくらいか。
ふと振り向けば、布団には俺が寝ていた。(今でも不思議なのは、首が180度回転したかのように見えた)
その瞬間、俺の周りをとてつもなく眩しい光と暖かいモノが包んだ。
気が付くと朝だった。
熱も37度くらいまで下がっていた。
夢だったのか?
当時はそんな経験のない俺は誰に相談も出来ず、翌日には会社へ行った。
同僚やらには「風邪だよ」と話していると、一人の女子が突然「何かあったの?」と聞いてきた。
以前に会社内で、「その子はみえる人」というような噂を聞いたことがある。
俺は藁をも掴む気持ちで全てを話した。
すると彼女は「いい人がいるから」と、2日後には霊能者という人を紹介してくれた。
その霊能者曰く、「もう今はいないから大丈夫だろう」と。
但し、「今後この話は人にしてはいけない。早く忘れなさい」と言われた。
それからだった。
最初は何かを感じるくらいだったのだが、そのうちに段々と見えないものが見えるようになったのは。
でも、それはそんなには怖くはなかった。
あの女に比べれば・・・。
なので友達に話したりして、少し面白がったりもしていた。
ただ、あの女の話だけは誰にもしなかった。
5年後。
俺は実家から車で1時間近く離れた場所で一人暮らしを始めた。
ある日、友達と二人で話していると、何故だか俺はあの女の話をし始めてしまった。
心の中では「やめろ!」と思いながらも止まらない。
でも5年も経っているし、地元も離れたし大丈夫だろう、と思うようにした。
話を聞いた友達も豪快なヤツで、あまりそういうものを信じない。
一度金縛りになった時も、「あんなもんは気合でしょ?」と硬直状態から動かしたと豪語するくらいなので、大丈夫かなとあまり気にしないようにしていた。
数日後。
その友達がうちに来た時に、非常に言い辛そうにこう言った。
「見間違えかも知れないが、あの日の帰り道に見たんだ。おまえの話していたのと同じような女が、車の陰でうずくまってたんだよ」
詳しく聞くと、俺の家のすぐ近くで見たようだった。
その瞬間、俺は凍りづいた。
そして後悔した。
話さなければよかったと・・・。
またあの女は近づいて来ている。
その後、結局はあの女に苦しめられることは一度もなかった。
でも、その時に心に誓った。
「もう二度と話すのはやめよう」と。
そして今、それからまた5年が経った。
何故か無性に話をしたくなっている俺がいる。
理由は未だに分からないが、あの女が「話して欲しい」と言っているような気もする。
こうやって文字にして書き出すことで、あの女が納得をしてくれればいいのだが・・・。
もしも車の陰でうずくまる女を見かけたら、しばらくは決して目を合わさない方がいい。
ただ、ここまで読んだあなたがその女を見てくれたら、俺は助かるのかもしれないが。
(終)