「望みを言え。お前の大事なものと交換してやろう」
これは、知り合いの話。
彼は学生時代にオフロードバイクを趣味にしていたという。
よく一人で山中の林道を走っていたそうだ。
ある夜、バイクの横でシュラフ(寝袋)に包まっている時のこと。
ふと目を覚ました彼は、すぐそばに『小柄な影』が立っているのに気が付いた。
夢か呪いか?それとも・・・
身を硬くする彼に、その影は奇妙な抑揚をつけて話しかけてきた。
「望みを言え。お前の大事なものと交換してやろう」
大手の企業に就職が決まっていた彼は、しばらく考えてから答えた。
「会社で大出世させてくれ。代わりに俺の子供を差し出そう」
「よかろう。その願い、聞き入れた」
承諾の返答が聞こえると、影はすうっと消え去った。
彼は身を起こしてクスクス笑ったという。
おかしな夢だと思っていたし、何といってもその時の彼はまだ独身だったのだ。
当然、子供などいるはずもなかった。
数年後、彼は二十代の若さで課長に抜擢された。
その企業では異例の大出世で、陰口も色々と叩かれたという。
彼自身の頑張りももちろんあったのだが、ライバルたちがことごとく病気や事故で脱落してしまったせいだった。
『呪い』という言葉まで囁かれたのだそうだ。
しかし、元来勝ち気な彼は気にもせず、ますます仕事に邁進した。
会社の創業者の孫を嫁にもらい、向かうところ敵なしの順風満帆だった。
それからしばらくして、彼は『影との取り引き』を思い出すことになる。
彼の妻が流産してしまったのだ。
あれは夢だったはずだ・・・。
何かの偶然だ・・・。
そう思ったが、妻はそれから続けて二回流産を繰り返した。
検診では母子ともに健康だったといい、医師にも理由が分からないと言われた。
憔悴しきった妻には、とても約束のことは話せなかった。
彼は恐怖に襲われ、あの林に一人で出向いたらしい。
しかし、彼の前に影は現れなかった。
必死で林に向かってひざまずき、「あの願いを忘れてくれ!」と頼んだという。
現在、彼の妻は四回目の妊娠をしている。
周囲はいささか神経質に見守っているのだそうだ。
後日談
実のところ、これはかなり前の話。
事の顛末も、もう判明しているのだとか。
さてさて・・・。
「あの願いを忘れてくれ!」と彼が訴えてからしばらくして、彼の担当していたプロジェクトが失敗して大赤字を出してしまい、責任を問われたそうだ。
結局、創業者一族のドロドロとした争いに巻き込まれた形となり、地方の支店へ左遷になってしまった。
肩書きは上がったそうだが、負け組み確定になったようで。
妻は甘やかされて育ったお嬢様らしく、読書好きでも物静かでもなく、凄くわがままだという。
ただ、夫婦仲は良いとのこと。
奇妙な流産だったようで、精神的な面以外には母体に悪い影響はなかったと医者に言われたのだとか。
「まるで何かに腹の中の子供をさらわれたように思えた」とも・・・。
流産の反動か分かないが、現在は三人のお子さんがいるという。
それを聞いて、最後にほっとした。
(終)