あの人がこのお守りを持ち続けていたら
これは私自身が16年前に体験した、不思議でもあり、切ない話。
ある日、大学の登山部仲間と『北岳』を登りに行った。※北岳(きただけ)=富士山に次ぐ日本で2番目の高峰で標高3193m
8月も末に近く、夜は気温もグッと下がり寒くなる。
白根御池と肩の小屋でそれぞれ泊まり、登頂後は一気に下る2泊3日のコースだ。
その1泊目、白根御池でテントを張った夜のこと。
別のテント前では、全身をオレンジ色で統一した登山着の人たち。
ヘルメットまでオレンジ色で、登山はまだまだ初心者だった私には、それがとてもカッコ良く見えた。
私がじっと見ていると、そのうちの一人がマグカップを片手に近寄って来られた。
「こんばんは~。山の夜は星が綺麗だねぇ」
「あ、はい!登山はまだまだ初心者なので、何もかも驚いたりしています。あ、星って本当に綺麗ですね」
「そうか、初心者かぁ。北岳はね、何度でも登りくなる山だよ」
「は、はい!」
「そうだ。じゃあ、これをあげよう。俺のお守り。安全祈願と魔除けかな」
そのお守りは木霊のようで、木を削り出して玉にしたような不思議なものだった。※木霊(こだま)=樹木に宿る精霊
玉の縁には穴があり、そこに木綿のような紐が通してあって首にかけられる。
「兄ちゃん、その木霊のお守りはね、俺のことを何度も助けてくれたんだよ」
「ありがとうございます。大切にします!」
明くる日、私たち登山グループが肩の小屋に着くと、ヘリが飛び、無線の音も飛び交っていた。
『・・・・・オレンジ色の人たち・・・バットレスで滑落・・・・』
その夜、肩の小屋に設営したテントの中で、私は夢を見た。
「お兄ちゃん、その木霊お守り、大切にしてくれよ。お兄ちゃんにバトンタッチだ。さようなら」
あれから16年が経った今でも、その木霊のお守りは仏壇にあげている。
もしあの人がこのお守りを持ち続けていたら、バットレスから落ちなかったのかもしれない…。※バットレス=山頂や稜線を支えるかのように切り立っている急峻な岩壁のこと
そして私は、この木霊のお守りを貰ったおかげで、無事に下山が出来たのかもしれない。
毎年お盆になると、御先祖様に手を合わせながら、同時にあの人への感謝と、あの人たちのご冥福をお祈りしている。
(終)