同僚が持っていた開かずの箱 2/2
まず、私の撮影です。
これは上手くいきました。
次のYさんも、
上手くいきました。
問題はその次の
I君でした。
一度目で撮れた写真は、
さっき撮ったのより、
なんとなく赤みが強くなっている
ようにみえる写真でした。
そこで、もう一回。
今度は、
なんだかI君の周りに、
赤ではなく黄色に近い色の
薄いビニールのようなものが、
なんとなく写っている
写真でした。
気味悪がりながらも、
I君はもう一回撮るように
T君にお願いしました。
そして出てきた写真を見た
T君は、
T「なんだあ・・・なんか変だ!」
と言って、
私達の方に駆け寄り、
その写真を見せました。
その内容は
かなり凄惨なもので、
I君の手や顔は
ほとんど隠されるほどに、
数え切れないほどの
黄色い手が、
I君の体に四方八方から
絡んできて、
さらにI君の体の黄色の手に
絡まれていない部分(下半身)も、
鮮烈な赤色に
染まっていました。
I君はこれを見せられた後、
一つの事実を告白しました。
その内容は、
次のようなものでした。
I「今日、昼休みの後に、
印刷室でコピー機を
回してる間、
木箱をいじっていたら、
ついに開いたんですよ。
だけど、
中からはボロボロの
布袋様が出てきて、
『天皇ノタメ 名誉の死ヲタタエテ』
って書いてました。
開けてみたら大量の爪と
髪の毛の束が出てきて、
不気味だから焼却炉に
捨ててしまいました」
私達はすぐに、
それをお寺に持っていき、
その話をして、
写真を供養してもらえるように
頼んだのですけど、
お寺の住職さんは、
寺「あなたのしたことは、
とても危険なことです。
あなた方の持って来た
その写真を供養しても、
霊の怒りは静まりません。
その木箱を持っていらっしゃい。
それを供養してあげれば、
中に閉じ込められていた
魂も救われます。
ぜひ持って来て下さい」
と言って、
ひとまず今日は帰るように
促しました。
しかし・・・
結局、I君と会うのは、
その日が最後になりました。
次の日の朝、
事実を知ることに。
I君が昨日の帰宅途中、
自宅近くで
自動車に撥ねられ、
胴体が切断されて
しまいました。
下半身は炎上する車の
タイヤに巻き込まれたまま
一緒に焼け焦げ、
上半身はそこから20メートルくらい
離れたところにあり、
即死だったとのことです。
その日、
私とT君とYさんは、
彼の母親から
木箱を譲ってもらい、
それを寺の住職さんのところへ
持って行きました。
しかし、
寺の住職さんは、
寺「この箱は怨念そのものです。
それも、もはや人のものでは
なくなっています。
この霊たちの怒りを
静めるのは難しいです。
供養して差し上げたいですが、
時間が掛かります。
それでもよろしいですか?」
と言われました。
I君が霊に憑かれる
行いをしてから、
たったの半日で命を落としたのを
見ている私達は、
それではいけないと思い、
自分達で読経を
覚えることにしました。
その年の12月、
私達が霊の恐怖を
忘れかけていた頃、
Yさんが火事で亡くなりました。
発火の原因は、
ストーブの不完全燃焼
だったらしいです。
残された私とT君は
気味が悪くなり、
会社に転勤を希望しました。
事が起きた
この地を離れれば、
霊たちも私達のことを追って
来れないのではないか、
と思ったからです。
しかし、
考えたくありませんが、
すでに私とT君のどちらかが
憑かれている可能性もあるわけで、
お互いの了解で別々の場所に
転勤させてもらうことにしました。
しかし、
その考えは甘かったと、
後から思い知らされることに
なりました。
T君は転勤後、
2年目にして結婚。
その後、
一人目の子供が生まれて
半月で肺炎で亡くなり、
二人目の子供も
流産で亡くなりました。
それと同じに、
二度に渡る流産で、
T君の妻も身体を悪くし、
脳に腫瘍が出来てしまって
植物状態になり、
次第に体力が衰えていき、
最後には死に至る重い病気を
患いました。
そして、6年目の秋に
亡くなったと聞いています。
T君も精神的に
参っていたのでしょう。
翌年の春に、
会社の屋上から飛び降り自殺を
してしまいました。
それから2年が経ち、
現在に至ります。
まさに、悪夢のような
9年間でした。
この頃になって頻繁に、
激しい動悸に見まわれるように
なりました。
さらに、夢に先に逝った3人が
出てくることも度々ありました。
私はこの先どうなるのか
全く分かりません。
今の持病の動悸も、
恐怖によるストレスからくる
一時的なものでありたい、
と思いますが、
私を除いた3人がすでに他界
してしまっていることから、
私も長くないのかも知れません。
南無妙法蓮華経・・・
(終)