イタズラが大好きな神様がいる神社
かなり前のことですが、
私がまだ当時高校生だった時の話です。
母と犬とで、
車で近場へ買い物に出掛けていました。
その帰り道、
犬が鳴き始めたので、
少し散歩させようと車を止めました。
ふと横を見ると、
いかにも”村のお社”といった雰囲気の
小さな神社がありました。
神社で体験した不思議な出来事・・・
周辺はごく普通の住宅街で、
母はその辺りで犬を連れて歩いてくると言うので、
私は神社を見に行くことにしました。
神社はこざっぱりとしていて、
雰囲気も静かで温かく、
綺麗に掃除もされていました。
社務所は無く、
参拝客は私以外にいませんでした。
二十段もないような石段を登ると、
石段の一番上に“小さな紙”が落ちていました。
なんだろうと思って拾ってみると、
そこには印刷で短い祝詞が書かれていました。
※祝詞(のりと)
祝詞とは、神道において神徳を称え、崇敬の意を表する内容を神に奏上しもって加護や利益を得んとする文章。(wikipediaより引用)
シンプルな短い祝詞で、
覚えやすくて気に入ってしまい、
私はその紙がとても欲しくなりました。
落ちていたものだし、いいかな?
とも思ったのですが、
持って帰るのは盗みのような気がして・・・
しばらく眺めて祝詞を覚えた後に、
紙は賽銭箱の近くに置いておきました。
お参りを済ませた後、
私は神社の建物が見たくなり、
社殿の横に回りました。
拝殿と本殿の間は渡り廊下で繋がれており、
その渡り廊下の横に行くと、
本殿がよく見えました。
人もおらずゆっくりと見ることが出来て、
“わあ、こんな風になってるのか~”
、と私は喜んで眺めていました。
そして、
ふと渡り廊下の向こう側を見た時、
なぜかその渡り廊下を横切って
向こう側に行かねばならない・・・
ような気がしたのです。
自分でもよく分からなかったのですが、
ともかくこの渡り廊下の手すりを
よじ登って乗り越えて、
渡り廊下を横切らねばならない、
なんとしてもそうしなければならない、
という思いに駆られたのです。
しかし、渡り廊下は神様の通り道のはず・・・
横切るなんてまずいんじゃないのか。
そんなことを考えながらも、
私はいつの間にか手すりに手を掛けていました。
妙に頭がぼーっとし、
周りの音が聞こえなくなりました。
『ほら、ここには誰もいないし、
周りは杜だから外からも見えない』
『この渡りの手すりをよじ登れば、
真正面から本殿が見られる』
『なかなか見られるものじゃない、
神様と同じ視点だぞ』
・・・と、
なぜか心の中で強く思いながら、
私は手すりに足を掛けてよじ登り、
渡り廊下に立っていました。
と、その時。
神社の外から、
母が私を呼ぶ声がしたのです。
私はハッと我に返りました。
見れば、
神社の渡り廊下に突っ立っている自分。
外からは母が、
姿の見えない私を心配して
何度も呼んでいます。
私は途端に怖くなりました。
母に「ちょっと待って」と返事をし、
ちらりと本殿の方を見てから、
私は入ったのとは反対側の手すりを乗り越え、
渡り廊下を横切りました。
“こうなったらいっそちゃんと横切ってやる”
、と負けん気が起きたものですから。
神社の裏側から出ると、
母が入口で心配そうに待っていました。
犬は母とは対照的に、
のんびりと座って待っていました。
気になって振り返ると、
賽銭箱の側にきちんと置いたはずの
祝詞の書かれた小さな紙が、
なぜか最初の石段の所に戻っていました。
何がなんだかよく分からないまま、
一ヶ月ほど後のことです。
再びその神社の前を通ると、
ちょうどお祭りをやっていました。
この間のこともあったし少し気になって、
私は神社に寄りました。
焚き火をしていたので、
参拝の後に当たらせてもらっていたら、
横にいたお爺さんが話しかけて来たので
おしゃべりをしていました。
お爺さんは地元に長く住んでいると言うので、
叱られるかも知れないんですけど・・・
と前置きして謝ってから、
お爺さんにこの間の渡り廊下のことを
話してみたのです。
すると、お爺さんは、
「久しぶりにそういう話を聞いた」
と言いました。
なんでも、
ここの神様はイタズラが大好きで、
昔は時々人を引っ張り込んでは
ご神木に登らせたり、
神楽の舞台に上がらせたり
していたのだそうです。
「あんたは真面目そうだし、
神様にからかわれたんだなあ」
と、お爺さんは笑いました。
帰る前に覚えた祝詞を唱え、
お爺さんからお餅を貰って帰りました。
(終)