初雪の山は登ってはいけない
「初雪の山は登ってはいけない」
そういう話を仲間内でよく聞いたが、滑りやすくなるからだろうと思い、馬鹿にしていた知り合いは命の危険に晒された。
彼は登山歴3年くらいの経験の少ないアマだったが、勝気な性格で人に頼ったりする事が嫌いだ。
なんでも一人でするタイプで、その時も一人で冬山を登っていたが、初雪が降り始めていた。
積もったのは数センチだったので、彼は当初の計画通り登り続けた。
彼にとって最後の登山となる
雪のせいで登山道が分かりづらくなった彼は慎重に登り始めたが、不安になりだしていた。
道を探しながら歩いていると、“足跡”があることに気づいた。
彼は喜んで胸を撫で下ろした。
「この道で間違いないんだ」
そして、またいい調子で歩き始めた。
だが、その足跡に気になる点があった。
どうやら靴の足跡ではない気がする。
少なくとも登山ブーツではない。
明らかに細すぎるし、小さい。
けれど、そのまま足跡を頼りに登り始めた。
周りの景色が少し違うなと、3年の経験で感づき始めた。
登山道というより獣道に近く、岩もごろごろして雑林も増えてきて歩きづらくなってきた。
彼は、その足跡の不気味さも気に掛かっていたので、引き返すことにした。
かなり辺りも暗くなってきて、彼は焦り始めた。
急いで自分の足跡を頼りに下山していると、異変に気づいた。
あの細い足跡が増えている・・・。
登っている時は一人だけの足跡だったが、今は数人分ある。
少なくとも今は三人の足跡が見える。
しかも、よく観察してみると、裸足の足跡のように見えた。
それに気付くと、背筋がゾクゾクして恐怖に襲われた。
自分を裸足の何かが後を付けて来ていた。
しかも登山道ではない。
その時、彼は知り合いのベテラン登山家の言葉を思い出していた。
「初雪の日は登山してはいけないよ。見てはいけないものが見えちまう。普段は見えないものが、雪のおかげで見えることがあるんだ。それは命取りになるから」
彼はパニックになりつつあった。
暗くなり始め、得体の知れない裸足の足跡、そして確実に迷っている。
彼は足早に、足跡を頼りに下山を始めた。
しかし、いくら歩いても登山道には戻れなかった。
もう完全に日は落ち、足跡も見分けがつかなくなった。
『遭難』
頭にその言葉が浮かんだが、今日中の下山を諦め、野宿すると決断した。
野宿の準備をしていなかったので、装備の中で使えそうなのはアルミ箔のような保温カバーとマッチくらいしかなかった。
彼は風が凌げる大きな岩の下で野宿をする事にした。
かなり冷えるが、雪の降った後で穏やかな夜だったので凍死の心配はなさそうだったが、念のため眠らない事にした。
落ち着いたところで、足跡の事がふと頭に浮かんできた。
「あの足跡は誰のものだろうか・・・。シカやウサギ、イノシシだろう、きっと・・・」
彼は自分の気を誤魔化すように、小動物の足跡だと解釈するようにしていたが・・・。
眠らないように頑張っていた彼は、ついウトウトして眠ってしまった。
彼は物音で目が覚めた。
それは、何かが雪の上を歩く音だった。
ザクッ、ザクッ、ザクッ・・・。
その音は岩の後ろから聞こえていた。
勝気な彼は小動物だと思い、追い払おうと大声を出した。
「コラッ!!」
怒鳴ると、足跡は遠くへ逃げていった。
「やっぱり、イノシシか?」
数十分後、また足跡が遠くから聞こえてきた。
ザクッ、ザクッ、ザクッザクッ、ザクッザクッザクッ・・・。
今度の足音は違った。
一人の足音ではない。
仲間を連れて来たんだ。
さすがの彼も恐怖を感じた。
「コラッ!!」
もう一度、思いっきり怒鳴った。
足音は止まったが、少しするとまた進み始めた。
こちらに向かって来ている。
もうここまで来ると、奴らが人間だと思わずに入られなくなった。
数人の人間がこちらに向かって来ている。
彼は今までにない程の恐怖に襲われた。
体育座りをして、目を瞑って祈り始めた。
特に宗教には入っていなかったが 子供の頃に祖父や祖母が念仏を唱えていたのを微かに思い出しながら、保温カバーに顔も入れて外を見ないようにしながらひたすらめちゃくちゃな念仏を唱えた。
足音はまだ聞こえている。
どんどん近くなって来ている。
ザクッザクッザクッ、ザクッ。
夜の間その足音は続き、まるで彼の周りをグルグルと回っているかのようだった。
彼は一睡も出来ず、半狂乱で念仏を唱えていた。
朝が近くなり、徐々に明るくなってきたのが分かった。
足音は次第に遠くになって来ていた。
彼は安堵した。
日が昇ったのが分かった。
足音も完全に聞こえなくなり、彼は恐る恐る保温カバーから顔を出して辺りを見回すと愕然とした。
周りには何十もの足跡が残っていた。
しかも、裸足の足跡が・・・。
彼は疲労困憊でその足跡を眺めていた。
あまりの恐怖に何も考えられなかったが、荷造りをして下山を始めた。
30分も歩くとその足跡は途中で消えたが、少し歩くと登山道の標識がすぐに見え、無事に下山した。
精神ともに衰弱しきった彼は、これを最後に登山をやめた。
(終)