人間をついばむカラスはすぐ殺せ 1/2
「人間をついばむカラスはすぐ殺せ」
※ついばむ
鳥がくちばしで物をつついて食う。
「でも、そんなカラス見たことないよ。カラスは人間が近づくと逃げて行くよ?」
「見たことがないならいい。だけど、見つけたらすぐ殺せ」
「なんで?」
「・・・」
俺がまだ幼かった頃。
まだ祖父のする昔話が面白いと感じていたあの頃。
もう少しで夢の世界に入ろうかという時に、祖父はこの話をするのだ。
人間をついばむカラスはすぐに殺すんだ、と。
なんで?と理由を聞くと祖父は押し黙り、そのうち俺は眠りにつく。
翌朝になると不思議と心に残っていなく、改めて祖父に尋ねることはなかった。
バジリスクという、海外の化け物がいる。
※バジリスク
バジリスクは、ヨーロッパの想像上の生物である。名称はギリシア語で「小さな王」を意味し、全ての蛇の上に君臨するヘビの王。(Wikipediaより)
某忍法の漫画でかなり有名になったと思うが、これとよく似た東北の化け物を知っているだろうか。
似ているというのは語弊が生じるかも知れないが、とにかく産まれ方は似ているはずだ。
それと、俺の故郷は東北のとある町だったから、関西の部落差別というのはよく分からない。
○○部落という言葉は一般的に使われていて、もちろん差別の対象になんてならなかったから、単なる地区の名称として使われていた。
前置きが長くなってしまったが、俺の住む部落にだけ伝えられる話がある。
『人間をついばむカラスはすぐ殺せ』、というものだ。
人間の形をした人外の化け物
話は遡って、俺が高校生の頃の事だ。
「人間をついばむカラスが見つかった。これから殺しに行くからお前も手伝え」
「嫌だよ。部活で疲れてるんだ。それに、カラスなんて放っておけばいいじゃないか」
「ダメだ。部落の男が総出でカラスを探してるんだぞ。お前も探してくれないと困る」
大年寄りの祖父が行くのに、若い俺が行かないという選択肢は無かった。
俺は軍手を付けて、大きめの草刈り鎌を渡される。
じいちゃんからは、汗と畑仕事の後の独特な香ばしい臭いがした。
「じいちゃん、畑仕事した後はちゃんと風呂入れよ。くっさいよ?」
「今日は肥溜め使ったからな。くっさいのは仕方ない。風呂入っても肥溜めの臭いは取れないんだよ」
そんな話をしながら、祖父と俺は近くの林まで歩く。
この頃の田舎道といったら、爽やかな青草の香りと強烈な肥料の香りが混ざり合って、『くっさい』という表現がピッタリだった。
「おう、やっと来たかい。カラスはまだ見つからねぇから、お前ぇらも頑張ってくれよ」
林に着いて最初に見つけたのは、部落長の五月女(そうとめ)さん。
みんなからは親しみを込めて『とめきっつぁん』と呼ばれていた。
「とめきっつぁん、おばんです。例のカラス、この林で見つかったの?」
「んだよ。じいちゃんから聞いてねぇのか?ここで昼間に子供たちが襲われたんだよ」
どうやら、夏休みで林で鬼ごっこをしていた小学生がカラスに襲われたらしい。
この林は俺も幼い頃によく遊んだ林だった。
かつては自分の背丈ほどもあった林の草は、もう胸の高さにも届いていなかった。
祖父もとめきっつぁんに軽く頭を下げ、今の状況を聞いた。
「とめきっつぁん、部落の男は来れる奴はみんないるんだろ?獲物がいるのにカラスは襲って来ないのか?人間を襲うのは馬鹿カラスのはずだろう」
「そうなんだよな。子供が襲われてから、すぐどっかに隠れてしまって出て来ねぇんだ。まぁ、焦ることはねぇよ。本当に人間をついばむカラスなら、すぐ我慢できずに出てくんだ」
話を聞くと、件のカラスは相当な阿呆(あほう)のようだ。
人間を見つけると、狂ったように襲って来るらしい。
手で払っても逃げないから、草刈り鎌で簡単に殺せるそうだ。
「とめきっつぁん、なんでそのカラスは殺さないとダメなんだ?放っておいていいんでないの?じいちゃんに聞いても教えてくれないんだ」
「まぁ、教えてやってもいいんだけど、お前、まだ学生だべ?あんまり難しいこと気にすんな。口で伝えるのはダメなんだ。見せないと」
「見せる?そのカラスを?」
「ちげぇよ。んーとな・・・。とにかく、口で伝えるのはダメなんだ。二十歳になって、まだこの部落に住んでたら見せてやるから」
俺は、とめきっつぁんと一緒にカラスを探しながら、林の奥にある森へと進んでいた。
祖父は俺たちとは別の方向を探している。
森の中まで入ると、もう畑の肥料の匂いはしなくて、夕暮れ時の特有の涼しい草の香りで一杯だった。
部活で疲れた身体に心地よい、爽やかな青草の香り。
涼しい風と、まだ夜にならないからか、遠慮がちに聞こえてくる虫の声。
だから、その時は危機感なんてまるでなかった。
言うなれば、部活で疲れてだるい身体の回復時間。
しかし、その気分を壊す怒号が聞こえるのだ。
「なんてことをしてくれたんだ!このクソアマが!!なんて大馬鹿なんだ!!」
聞こえてくるのは、自分たちのいる位置から東。
夕日が沈むのと大体逆の方向だった。
「じいちゃんの声だ」
「んだな。何事だ?声が聞こえるってことは、すぐ近くだ。こっちから・・・」
「おーい、じいちゃん。どうしたんだー?」
草を掻き分け、東へと進む。
祖父の姿はすぐには見つけられなかったが、誰かのことを『クソアマ』なんて言う祖父は、後にも先にもその時だけだったから、異常事態だってことは何となく分かっていた。
「うああああああああ!!!死んでる!!じいちゃん、この人死んでるよ!!」
そう叫んだのはもちろん俺。
まさか首吊りの死体を見るとは思っていなかったから。
死んでからどのくらい時間が経っているのだろうか。
頭部は禿げ散らかり、着ている服からでしか女性であることが分からない程、首吊り死体は腐敗していた。
爽やかな青草の香り?
そんなものを感じていた自分は、一体どこの馬鹿だろう。
初めて嗅ぐ、人間の腐った臭い。
くっさい、腐った臭い。
ゆらゆら揺れるその死体に、祖父は罵声を浴びせていたのだ。
この野郎!よそ者が!クソアマが!、と。
「じいちゃん、何してんだよ!?死んでんじゃんか、この人!うああああ!!」
近寄れない俺を追い越して、とめきっつぁんが一歩踏み出す。
半ばパニックになって、とめきっつぁんの存在を忘れていた。
「・・・」
とめきっつぁんは何も言わなかったが、死体に向かって持っていた草刈り鎌を投げつける。
彼もまた怒っていた。
「どうしたんだよ、二人とも!死んでるってこの人!!どうする・・・。どうすればいいんだよ!?」
「この、クソ・・・もう遅い。カラスが見つからないのは、このクソアマのせいだ。こいつのせいだ」
何が正しくて何が間違いなのかは、高校生の俺には判断できなかった。
祖父ととめきっつぁんの声を聞いて次第に部落の男たちが集まって来たが、同じように罵声を浴びせるジジイもいれば、俺と同じで首吊り死体を直視できない中年のおやっさんもいた。
「もう夜が来る。たぶん明日だ。みんな、出来れば今日中に蜘蛛を見つけるんだぞ」
よほど興奮しているのだろうか、とめきっつぁんは唾を撒き散らしながら皆にそう告げた。
俺たちはゾロゾロと森を抜け、林を抜け、家へと帰る。
玄関先では俺の父が帰りを待っていた。
父は仕事から帰って来たばかりらしく、まだネクタイをしていた。
祖父から事の顛末を聞いた父は、「明日すぐ、蜘蛛を探す」と言っただけで、俺に声をかけることはなかった。
聞きたいことは山ほどあったが、尋ねることは出来なかった。
翌朝の事だ。
いくら田舎の高校生とはいえ、朝5時に起きるほど健康的ではないのだが、父から叩き起こされた。
「これからドスコイ神社に行く」
ふざけた名前の神社だが、通称ドスコイ神社。
部落の子供が必ず一度はその敷地で相撲をとって遊ぶことから、その神社はドスコイ神社と呼ばれていた。
「昨日の事で?」
「そうだ。人間をついばむカラスのことだ。ドスコイ神社にあるんだ。お前はまだ若いし怖がらせたくはなかったんだけど。まぁでも、二十歳になったらなんて目安でしかないからな。お前は妙に落ち着いてるから見せても大丈夫だろう」
「父ちゃん、今日は仕事休むの?」
「ああ。お前も今日は部活は休め」
父からボンと、濡らしたタオルを顔に向かって投げられる。
洗面所にも行かせてくれないらしい。
すぐに身支度をして、ドスコイ神社へと向かう。
朝5時に起こされたとか、大会が近い俺に部活を休めとか、普通なら俺が怒っても不思議じゃない事は沢山あったけど・・・。
みんなが過剰に反応する『人間をついばむカラス』の正体がとうとう分かるんだという期待に、些細な事は気にならなかった。
「父ちゃん、人間をついばむカラスって、妖怪か何かなの?」
「カラスはカラスだ。ただの鳥だよ。それにな、もうカラスじゃないんだ。俺たちが殺さないといけないのは」
「殺すって・・・」
「ほら、もうドスコイ神社だ。あの本殿の中にあるから。俺に聞かれても上手く説明できないし、俺だって・・・いや、なんでもない」
「???」
いつのまに預かっていたのか、父はごつい鍵を取り出して本殿の錠を開ける。
扉を開けると、ほんのりと墨の香りがした。
本殿の中には御神体なんて無かった。
いや、御神体どころか何も無い。
ただの部屋。
「何も無いけど?」
「何も無いか」
「・・・何も無いよ」
「・・・」
「いや、何も無いから・・・え?」
その時、懐中電灯の照らすその先には微かな、しかし確かな違和感。
茶色のはずの本殿の壁が、ところどころ黒いのだ。
経年による染みか?
いや、そうではなかった。
明らかに人為的な曲線。
壁一面どころか、天井にまで描かれている大きな絵。
これは絵だ。
壁をなぞるように光を這わせ、その絵が何なのかを見る。