みずがみさま 1/4
中学時代の話だ。
その年の夏、私と、私の両親と、
友人一人の計四人で、
一泊二日のキャンプをしたことがあった。
場所は街を流れる川の上流。
景観の良い湖のほとりにテントを立てた。
水神湖(みずがみこ)という、
少し変わった名前の湖。
観光パンフレットにも載っていないので、
周りに人は私たちだけだった。
事前の予定では、
両親はいないはずだった。
普段は放任主義なのだが、
さすがに子供二人だけでのキャンプは、
危険だと思ったのだろう。
いきなり自分たちも参加させろと言いだして、
計画にもあれこれ勝手に手を加え始めた。
今ならその心配も十分に分かるのだが、
当時は普通にウゼーと思っていたし、
実際口にもした。
もっとも私よりも、
まず友人に申し訳ないと
思っていたのだが、
彼は表向きはまるで気にしていないようで、
私が親が付いて来ると告げた時も、
「うん。分かった」の一言だったし、
行きの車の中でも、私の両親と、
えらく普通に会話をしており、
私一人だけがいつまでもブーたれていた。
母「やっぱりくらげちゃんは、誰かと違って
礼儀正しくてしっかりしてるねぇ」
移動中の車内。
母が声を大きくしたのはわざとだろう。
くらげとは友人のあだ名だ。
私がそう呼んでいるのを聞いて、
親も真似をして、
そう呼ぶ様になったのだった。
しかし、何が『くらげちゃんは
しっかりしてるねぇ』だ。
いっそのこと、そのあだ名の由来を
教えてやろうかとも思った。
友人はいわゆる『自称、見えるヒト』であり、
幽霊の他にも、自宅の風呂に居るはずの無い
くらげの姿が見えたりする。
だから、あだ名がくらげなのだが。
口に出したい気持ちを、
ぐっと呑みこむ。
くらげはその日、
長袖のシャツに黒いジャージという
出で立ちだった。
彼は、あまり親しくない人の前で
肌を見せるのを嫌う。
つまりは、そういうことだった。
母「まあ何ねこの子は、
さっきからぶすーっとして」
うっせー。
誰のせいだ。
細い山道を幾分上り、
目的地に着いたのは午前十時頃だった。
人の手が入ってないからか、
湖の水は隅々まで透き通っていた。
所々白い雲の浮かぶ空は青く、
周りの緑がそよ風になびいてサラサラと、
音を立てている。
荷物を下ろし、今日のために
休暇を取ったという父親が、
張り切ってテントを組み立てにかかった。
くらげがそれを手伝い、
私は落ちてある石を集めて積み上げ、
簡素なカマドを作った。
口は強いが身体の弱い母は、
木陰でクーラーボックスに腰かけ、
皆の作業の様子を眺めていた。
テントが完成した後、
母が私の作成したカマドで、
昼食をこしらえた。
野菜と一緒に煮込んで
醤油とマヨネーズで味付けした、
ぞんざいなスパゲッティ。
鰹節をふりかけて食べる。
見た目と同様に味もぞんざいだったが、
美味かった。
父「そう言えば、前にも一度、
ここに来たことがあってな」
食事中、ふとした拍子だった。
パスタと共に、
昼間から酒に手を付け始めた父が、
しみじみとした口調で言った。
父「あの時は、こんなにゆっくりとは
出来んかった」
私たちが生まれる前のことだという。
麓の街に住む一人の男が、
山に入ったまま行方が分からなくなった。
次の日、家族の通報により捜索隊が組まれ、
何日もかけて山中を探しまわったそうだ。
消防署に勤めている私の父も、
捜索に加わっていた。
そうして二日程経った頃。
行方不明だった男はこの湖の近くで、
見るも無残な姿で発見された。
父「たった二日なのに、
ミイラみたいになっててな、驚いた。
腕は一本千切れて無かったし、
動物の爪の痕やら、
しかも腹にはどでかい穴が空いててな、
内臓があらかた食われてた。
熊じゃないかってことになって、
そこからは皆大騒ぎだよ。
猟友会も呼んで男の次は熊の捜索だ」
私とくらげは無言のまま、
顔を見合わせた。
隣の母が、露骨に止めてくれ
というような顔をしていたが、
私は構わず父に尋ねた。
私「で?その熊は見つかったん」
父「いや。見つからなかった。
そもそも熊じゃないって話もあったな。
猟友会の奴らが、
これは絶対熊じゃないって言うんだ。
傷がでかすぎるってな。
まあ、確かにここらの山に熊が出るなんて、
その頃でも聞かない話だったが。
でも熊じゃないとしたら、
じゃあ何なんだって話だよ」
母「・・・そんなのが出るかもしれん山に、
私らを連れて来たん?」
そう言って母が父を睨んだ。
父はどこ吹く風で缶ビールを口に運ぶ。
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