古い家 4/5

地下階段

 

ミシ、ミシ、という音とともに、

再び僕らは地下へ降り始めた。

 

蜘蛛の巣を見上げながら角を曲がると、

階段はまた下へ続いている。

 

なんだこれは。

 

いくらなんでも深すぎる。

 

これだけ地下へ穴を掘ると、

水が出るはずだ。

 

大きな水脈に当たらなかったとしても、

 

水の浸入を防ぐためには、

壁を何重にもしなくてはならないだろう。

 

そんな面倒なことをしてまで

地下へ降りる階段を造る。

 

どんなメリットがあるというのか。

 

それもおそらく明治時代以前の工法で、

 

壁に当たって折り返す、

壁に当たって折り返す、

 

その繰り返しをどれほど続けただろう。

 

途中から、

数を数えることさえ忘れてしまった。

 

外は夜だ。

 

晴れた夏の夜のはずだ。

 

けれどここは、

 

まるで時間が止まってしまった

かのような空間だった。

 

たとえ外が曇りでも、

 

雨でも、朝でも、昼でも、

なにも変わりはしないだろう。

 

10年前も、20年前も、

日本が戦争に負けた時だって、

 

この地下の空間はこのままの姿で

ここにあったのだろう。

 

風が頬に触れる。

 

吐息のように、

さらなる地下の存在を囁く。

 

自然に僕も師匠も、

息を殺しながら進む。

 

「なあ」

 

先を行く師匠が、

頭をこっちに向けもせずに言う。

 

「この家ってさあ、

どっからも入れなかったよな」

 

「はい」

 

応えながら、

 

『戸をぶち破らせたのは誰だよ』

 

と心の中で毒づく。

 

「この家を放棄した人間たちは、

どっから出たんだ」

 

ああ。

 

そんなこと、

今は忘れてしまっていたい。

 

ゾクゾクと嫌な震えが、

背中を通り抜ける。

 

でも確かに、

 

閂だか、つっかえ棒だかは、

すべて内側からだった。

 

※閂(かんぬき)

門扉などを閉じ固めるのに用いる横木。

 

現代のように、

外から開け閉め出来るような鍵はない。

 

では、

 

戸締りをした最後の一人は、

一体どうやって外に出たのか・・・

 

まるですべてが、

 

この廃墟の中の住人の存在を

示しているようじゃないか。

 

それはつまり、

 

この階段の行き着く先に『それ』がいる、

ということだ。

 

僕は息を飲みながら足を動かし続け、

 

早く階段の先の壁が尽きることを

半ば望み、

 

そして半ば以上を恐れていた。

 

高すぎる蹴上に頭がガクガクと

上下に揺られ続け、

 

意識が少しずつ朦朧としてくる。

 

※朦朧(もうろう)

 

終わらない階段は、

 

麻薬のように僕の脳を

冒し始めているのかも知れない。

 

どこまでも深く降り続ける感覚が、

どうしようもなく心地良くなってくる。

 

足を踏み出すたびに、

 

階段の床が軋み、

壁が軋み、

 

天井が軋む。

 

懐中電灯の光に、

 

パラパラと振ってくる埃が

小さな影をつくる。

 

きっと身体中、

真っ黒になってしまっていることだろう。

 

眼下に師匠の頭が揺れている。

 

試しに階段を1段1段数えてみる。

 

・・・50を越えたあたりで止めてしまった。

 

ふと、子どもの頃に体験した、

祖父の家の土蔵の地下のことを考える。

 

ひょっとすると僕も師匠も、

いつの間にか死んでいるのかも知れない。

 

どこまでも深く降りていく狭い階段に、

 

『いつ』

 

がその瞬間だったのか

気づきもしないで。

 

まるでこの階段自身が

呼吸しているかのように、

 

風が微かな唸り声を纏って、

身体をすり抜けていく。

 

誰も何も喋らなくなった。

 

もう、上がどうなっているか、

確かめようなんて気は起こらない。

 

ひたすら、下へ。

 

下へ・・・

 

気持ちが良い。

 

底なんてなければいいのに。

 

「あ」

 

師匠の声が僕の意識を覚醒させる。

 

折り返しの壁に沿って

身体を反転させようとした師匠が、

 

立ち止まって右側を見ている。

 

僕もその横から首を伸ばして、

懐中電灯の光の先を見る。

 

階段はもう無かった。

 

四方を壁に囲まれた

窮屈な板張りの廊下が、

 

水平方向に伸びている。

 

息を潜めながら師匠がゆっくりと

足を踏み出していく。

 

僕は眼を閉じてしまいたかった。

 

それでも、

師匠の背中に隠れるように後を続く。

 

懐中電灯の丸い光が、

 

朽ち果てたような木戸を

闇の中に照らし出す。

 

「気をつけろよ」

 

そう囁きながら、

師匠が軽く左手で押す。

 

キィ・・・

 

という音とともに、

戸は奥へ開いていった。

 

「なんだここ」

 

師匠がすり足で慎重に、

中に足を踏み入れる。

 

そこは畳敷きの部屋だった。

 

八畳間くらいだろうか。

 

師匠が8の字に波打つように

懐中電灯を動かし、

 

部屋の中を少しづつ照らしていく。

 

背の低い和箪笥が、

壁際にぽつんとあるのが見えた。

 

そしてその隣には錆付いた燭台。

 

※燭台(しょくだい)

ろうそくを立てるための台。

 

壁の表面の一部が崩れて、

土くれが床にぽろぽろと転がっている。

 

殺風景な部屋だった。

 

人の気配はない。

 

生活の気配も。

 

畳からはカビの匂いが立ち込めてくる。

 

天井には蜘蛛の巣。

 

地下に部屋があると知った時点で、

座敷牢のような所を想像していた僕は、

 

むしろ心地の悪い

ズレのようなものを感じた。

 

まるでこの家の住人の一人にあてがわれた、

ただの部屋のような佇まいだったからだ。

 

あの長い階段さえなければ。

 

ふいに師匠の呼吸が止まった。

 

僕の頬を生暖かい風が撫でていく。

 

時が止まったように、

 

風の吹いてくる方向を、

師匠は見つめている。

 

正面の壁に、

四角く刳(く)り抜かれた穴がある。

 

両手を広げたくらいの幅の

その穴の外周には、

 

木で出来た枠がある。

 

窓だ。

 

そう思った瞬間、

 

身体の中を無数の手が

這い登っていくような、

 

気持ちの悪い感覚に襲われる。

 

窓には格子戸がかかっている。

 

その格子と格子の間の狭い隙間から、

向こうの景色が微かに覗いている。

 

師匠がゆっくりと近づいていく。

 

揺らめく懐中電灯の光が

格子とその隙間とに、

 

(あや)しい縞模様を映し出している。

 

師匠が窓辺に立って、

ゆっくりと息を吐く。

 

僕も何かに魅入られたように足を運び、

師匠の隣に並ぶ。

 

格子の隙間から、

風が入り込んで来ている。

 

その向こうには、

暗い空間が広がっている。

 

暗いけれど闇ではない。

 

遠くに黄色く光る街灯が、

ぽつんと立っている。

 

静かな畦道が横に伸びている。

 

黒々とした山並みが、

その果てに見える。

 

蛙の鳴き声が微かに聞こえる。

 

一体ここはどこなんだ?

 

応えるものはなにもなく、

 

ただ朧夜の底の光景が、

僕らの前にあった。

 

※朧夜(おぼろよ)

夜の空に薄雲がかかっている時の月が、その薄い雲を透かして見える状態のこと。

 

畦道の向こうから、

揺れる明かりが近づいて来るのが見える。

 

僅かに見下ろす。

 

ここは地面よりも少し高い所にあるらしい。

 

明かりとともに、

畦道をやって来る人影が見えた。

 

ここからでは遠くて人形のように小さい。

 

ああ、近づいてくる。

 

そう思った瞬間、

僕は師匠の腕を掴んだ。

 

そして、

有無を言わさず窓際から引き離す。

 

「戻りましょう」

 

そう言って、

入って来た部屋の戸に向かう。

 

胸がドン、ドン、と高鳴っている。

 

怖い。

 

怖い。

 

頭がそれ以外の言葉を、

紡ぐのを恐れている。

 

戸惑ったように動きの鈍い師匠から

懐中電灯をもぎ取り、

 

板張りの廊下へ先に踏み出す。

 

早足で狭い廊下を抜け、

仰ぐようにそびえる階段に足をかける。

 

そして降りて来た時より

もっと高くなったような気がする1段1段を、

 

闇雲に昇っていく。

 

怖い。

 

怖い。

 

壁に突き当たり、

左に曲がる。

 

折り返すと、

また階段が上に続いている。

 

どこまでも続いている。

 

足音が一人分しか聞こえない。

 

そう思った瞬間、

 

バキィッ、

 

という破壊音が空気を震わせた。

 

足が止まる。

 

下からだ。

 

僕は振り向くと、

飛ぶように階段を駆け降りた。

 

(続く)古い家 5/5

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