古い家 5/5

地下階段

 

下まで着くと、

 

嫌な音のする廊下を走り抜け、

戸が開いたままの部屋に飛び込む。

 

師匠が金属製の燭台を両手で振り上げ、

窓の格子戸に叩きつけている。

 

木製の格子が1本2本と砕けて、

外に落ちていく。

 

僕は師匠の名前を叫んで、

腰のあたりに組み付いた。

 

その頃の僕にはまだ、

 

決して越えてはならない

境界線というものが、

 

確かにあったと思う。

 

この世の理(ことわり)が捻じ曲がり、

 

目に映らなかった世界が

剥き出しになる瞬間にさえ、

 

自分の戻るべき場所を振り返ってしまう、

そんなくだらない人間だった。

 

燭台を投げ捨て、

 

格子戸の大きく破れた部分に

手をかけて、

 

外へ身を乗り出そうとする師匠を

必死で止める。

 

羽交い絞めにして、

 

ジタバタともがく身体を

窓から引き剥がす。

 

なにかを喚いているが、

聞かない。

 

その格好のままズルズルと引っ張って、

元来た部屋の戸口に向かう。

 

師匠を前に向けて廊下を進み、

階段の下まで来ると、

 

斜め前方に無理やり押し上げた。

 

そして師匠のお尻に頭のてっぺんをつけて、

グイグイと力任せに押していく。

 

「・・・っ!・・・っ!」

 

何かを叫んでいる。

 

折り返しをいくつか過ぎたあたりで、

ようやく耳に入った。

 

「わかった。わかったから。

危ないから、もう押すな」

 

それで少し勢いを落とした。

 

師匠は溜息をつきながら、

僕に押されないように早足で進む。

 

たった一つの懐中電灯は、

再び師匠に渡してしまった。

 

昇っても昇っても、

階段は先へ続いている。

 

息が荒くなり、

汗が額から滴り落ちる。

 

でも止まれなかった。

 

得体の知れない強迫観念に

追い立てられて。

 

やがて僕の耳は、

 

僕のでも師匠のものでもない、

別の足音を捉える。

 

酸素が足らなくなり、

前方の視界が暗くなる中で、

 

僕はその音が、

現実なのかどうかを考える。

 

真上から聞こえてくるような気がした。

 

その足音が降りてきているような。

 

次の角を曲がった時には、

それと出くわしてしまうような・・・

 

急に、

前を行く師匠が立ち止まり、

 

「目を閉じて息も止めてろ」

 

と早口に言った。

 

僕はとっさに反応し、

 

右足だけ次の段に掛けたまま、

目を閉じて息を止める。

 

苦しい。

 

平常時ならともかく、

今は30秒も持ちそうにない。

 

その苦しさが恐怖心を

一瞬忘れさせた時、

 

僕の身体の中を、

嵐のような声が通り過ぎた。

 

たくさんの人間の唸り声のような、

呻き声のようなそれは、

 

僕の身体を凍りつかせた後、

 

背中から抜けてそのまま階下へと

消えていった。

 

やがてそれは、

 

僕らの足元の遥か下の階を降りていく

足音に変わる。

 

それは、

すれ違うことも出来ない狭い一本道を、

 

一度も僕の身体に触れないまま

通り過ぎて行ったのだった。

 

「行こう」

 

と言うように服を引っ張られ、

目を開ける。

 

一体なにが通り抜けて行ったんですか?

 

そんな問い掛けを口にしようとして、

 

僕の目の前にいるそれが、

師匠ではないことに気づく。

 

悲鳴を上げそうになり、

口を押さえる。

 

青白く冷たい相貌。

 

※相貌(そうぼう)

顔のありさま。人相。容貌。

 

僕を不安定にさせる、

氷のような顔。

 

ああ、これは父だ。

 

僕を怖い場所へ連れて行く父だ。

 

僕の手を掴んで、

地面の底へと・・・

 

「どうした」

 

いきなり平手が飛んで来た。

 

頬の痛みに僕は我に返り、

 

その瞬間に吸い込んだ酸素が

脳髄に行き渡る。

 

視界の端に視神経の火花が

キラキラと散る。

 

「幻覚でも見たか」

 

目の前の人間が師匠の姿に戻り、

その右手が僕の手の甲を掴んだ。

 

そして僕を引っ張り上げるように、

高い階段を昇り始める。

 

「さっきのは、なんだか、

正直、わからん」

 

師匠のハァハァという息遣いが、

螺旋状の狭い筒のような空間に響く。

 

煤で汚れた手で汗を拭くので、

僕らは顔中が黒くなっていることだろう。

 

降りる時には有限だった折り返しが、

今度も有限である保障なんてどこにもない。

 

けれど、

 

僕は今一人ではないという

その一点だけにしがみついて、

 

ひたすら足を上げ続けた。

 

足が震え、

一歩も歩けなくなりかけた時、

 

懐中電灯の照らす上空に、

ポッカリと四角く開いた空間が出現した。

 

「戻ったぞ」

 

師匠がその穴から這い出る。

 

僕も続く。

 

そこは座敷の押し入れで、

 

脇に避けられた木製の蓋も、

饐えた畳の匂いも、

 

元来た時のままだった。

 

随分時間が経ったような気がするし、

あっという間だったような気もする。

 

ただ、

 

あれほどおっかなびっくり探索していた

古い家の中が、

 

まるで自分の部屋のように感じられて

しまうのは不思議だった。

 

師匠が「よっ」と力を入れて蓋を動かし、

地下への入り口を封印する。

 

蓋が閉じきる寸前に、

 

狭くなった空気の通り道を

生暖かい風が抜けて嫌な音を立てた。

 

うううううう

 

・・・・・・

 

その呻き声のような音も、

やがて消えた。

 

完全に隙間なく蓋を閉めると、

空気は漏れないようだ。

 

これでこの家にまつわる噂も

なくなるだろうか。

 

そう思った瞬間、

 

ズズズズン、という、

 

地の底から響いてくるような衝撃が、

周囲の闇を振るわせた。

 

崩落を示す振動。

 

地下の階段からだ。

 

それはすぐに直感した。

 

そして、

 

もう地面の奥底のあの部屋には

たどり着けなくなったことも。

 

土埃のような匂いが、

蓋から染み出してくる。

 

師匠は「あ~あ」と言って、

鼻を鳴らした。

 

そして息を整える暇もなく、

 

「出よう。嫌な感じだ」

 

という言葉に僕は従う。

 

走らない程度に急いで、

 

入る時に僕が壊した

裏の戸口から外に出た。

 

裏庭を抜け、

雑草を掻き分けて、

 

土塀の朽ちた木戸を潜る。

 

そのあいだ、

僕ら以外のなんの気配も感じなかった。

 

「お風呂に入りたい」

 

師匠がそう言いながら家に背を向け、

 

遠くの黄色い街灯を目印に、

畦道の方へ進む。

 

僕は立ち止まり、

 

その家の『醤』と書かれた

正面の構えを眺める。

 

その僕の様子に気づいて師匠が振り返り、

懐中電灯を2階に向けた。

 

2階の窓の格子戸は、

最初に見た時のまま整然と並んでいる。

 

「調べてみたいなんて言うなよ」

 

師匠の声が冷たく響く。

 

「あの葡萄は酸っぱい、だ」

 

師匠は踵を返して歩き出す。

 

置いていかれまいと追いかける。

 

蛙の鳴き声を聞きながら、

僕は落ち込んでいた。

 

あの地下室の窓辺で、

取り乱していたのは僕だった。

 

喚いて羽交い絞めを振りほどこうと

していた師匠ではなく。

 

それは、

僕にも師匠にもよく分かっている。

 

また失望させてしまったし、

 

それを面と向かって責められないことも、

逆に辛かった。

 

けれどあの時、

師匠を止めていなかったとしたら、

 

僕にはその後の世界を想像できないのだ。

 

「すみません」

 

と言って僕は頭を垂れた。

 

(終)

次の話・・・「怪物 「起」 1/5

原作者ウニさんのページ(pixiv)

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