田舎(中編) 1/5

田舎

<田舎(前編)の続き>

 

そもそもの始まりは大学1回生の秋に、

 

実に半端な長さの試験休みなるものが

ぽっこりと出現したことによる。

 

その休みに、

 

ずいぶん久しかった母方の田舎への

帰省旅行を思いついたのだが、

 

それがどういうわけか、

師匠、CoCoさん、京介さんという、

 

3人の先輩を引き連れての

道ゆきとなってしまった。

 

楽しみではあったが、

 

そこはかとない不安が

どんよりと道の先にあるのを、

 

俺は見て見ぬ振りをしていたのだった。

 

駅まで迎えに来てくれた伯父の車は

7人乗りだったが、

 

助手席に伯父の家で飼っている

柴犬が丸まって寝ていたので、

 

京介さんとCoCoさん、

俺と師匠という並びで、

 

それぞれ中部座席、

後部座席に収まっていた。

 

俺としては、

 

その柴犬がまだ生きていたことに

まず驚いた。

 

耳の形に見覚えのある特徴があったので、

その子供かと思ったのだが、

 

『リュウ』本人なのだという。

 

20歳は確実に超えているはずだ。

 

伯父にリュウの歳を聞くと、

「忘れた」と言って笑うだけだった。

 

「こいつはドライブが好きでなあ。

 

昔ゃよう連れてったもんじゃけんど、

最近は全然出たがらんなっちょったがよ。

 

今日は珍しい」

 

京介さんが頷きながら手を伸ばし、

 

前の座席で寝そべっている

リュウのお尻のあたりを撫でる。

 

リュウはちらっとだけ視線を向けて、

また静かに目を閉じた。

 

車は快調に国道をとばしていた。

 

山間の道をひたすらに東へ進む。

 

右手に川が現れて、

 

ゴツゴツした巨大な岩が視界に入っては、

すぐに後方へ飛び去っていった。

 

「なんちゃあないろう」

(何もないところだろう)

 

そういう伯父の言葉には、

 

変に飾ったところも卑屈なところもなく、

気持ちが良かった。

 

CoCoさんが土地のことなどあれこれを聞き、

京介さんもいつになく口が滑らかだった。

 

伯父が言った冗談に

師匠がやたらウケて笑い声をあげ、

 

その余韻で楽しそうに

隣の俺の肩を叩きながら顔を寄せて、

 

表情とまったく違う冷めた調子で、

「ところで」と言った。

 

「僕が今見ているものを、

伝えてもいいか」

 

俺にしか聞こえないくらいの

小さな囁き声に、

 

いきなり冷水をかけられたような

気分になった。

 

日差しの強かったはずの窓の外が

急に暗くなり、

 

国道のすぐ横を流れている川は、

闇に消えるように水面も見えなくなった。

 

そしてあたりから音が消え、

 

車のフロントガラスの向こうには

黒い霧が渦を巻いている。

 

やがて、

川沿いのガードレールのあたりに、

 

凍りついたような青白い人の顔が

いくつも並び始めた。

 

暗くて首から下は見えない。

 

顔だけがのっぺりと浮かび上がっている。

 

男の顔もあれば女の顔もある。

 

それも、

 

大人が道路ぶちに立っているような

高さのものもあれば、

 

その半分の高さのもの、

 

はるか見上げるような位置にあるもの、

地面に落ちているもの、

 

様々な顔が、

 

しかしどれも無表情で

こちらを見ているのだった。

 

そして無表情のまま、

 

その顔たちはそれぞれ口を

微かに開いている。

 

音もなく、

車の窓ガラス越しに視界は走り、

 

手を伸ばせば届きそうな距離に

暗闇に浮かぶ顔が、

 

まるで上下にうねる様な

連続体となって見えた。

 

それぞれの口の形は連続することによって、

 

いくつかの単語を脳裏に、

強制的に想起させようとしていた。

 

自分の心臓の音だけが響き、

俺は暗い窓の外から目を離せないでいる。

 

「なにを吹き込んでるんだ」

 

京介さんのその声に、

ふいに我に返った。

 

世界に音が戻ってきた。

 

暗かった視界も一瞬のうちに

霧が晴れたように元に戻り、

 

アスファルトの照り返しが

目に飛び込んでくる。

 

師匠がすぅっと近づけていた顔を遠ざける。

 

「別に、なにも」

 

京介さんがこちらを睨む。

 

「あと30分くらいで着くきに」

 

伯父が能天気な声でそう言った。

 

京介さんが前に向き直ると、

 

師匠はまた顔を寄せてきて、

「怖いな、アイツ」と言う。

 

俺はさっきの体験を反芻して、

 

どうやら『師匠が見ているもの』の

説明を聞かされているうちに、

 

まるで白昼夢のように、

リアルな再構築を脳内で行ってしまった、

 

と結論づける。

 

もちろん、

 

催眠術をかじっているという

師匠のイタズラには違いない。

 

その師匠が、

 

「僕の見ている世界はどうだった」

 

と聞いてくる。

 

「あの顔はなんですか」

 

と囁き返す。

 

あの幻からは『拒絶』という、

確かな悪意が感じられた。

 

ところが師匠は、

それをお化けとも悪霊とも呼ばなかった。

 

「神様だよ」

 

塞の神。

 

馴染み深い言葉でいえば道祖神。

 

※塞の神(さえのかみ)

道祖神(どうそじん)

厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として主に道の辻に祀られている民間信仰の石仏。

 

そんな言葉が耳元に流れてくる。

 

「男の顔も、女の顔もあっただろう。

 

双体道祖神といって、

それほど珍しくもない男女二対の道の神様だ。

 

辻や道の端にあり、

旅人の安全を祈願すると同時に、

 

村や集落といった共同体への、

異物の侵入を防ぐ役割を果たしている。

 

たぶんこの道路沿いのどこかに、

石に彫られたものがあったはずだ」

 

「・・・異物ってなんですか」

 

俺の問いに、

師匠は可笑しそうに囁いた。

 

「疫病とか悪霊とか、

ソトからもたらされる害悪の源。

 

鬼はソト、福はウチってね。

 

幸いをもたらすものは歓迎し、

災いをもたらすものは拒絶する。

 

道祖神はその線引きをする、

果断な性格の神様だね」

 

※果断(かだん)

ためらわずに思い切ってすること。

 

もちろんウチにいる者にとっては

何も気にする必要のない、

 

無害な神様さ。

 

師匠はそう言って、

嬉しそうに続ける。

 

「僕くらい、色んなビョーキを持って、

ソトからやってくる人間は別だけど」

 

ビョーキ。

 

ここではなんの隠語なのか、

すごく気になるところだったが、

 

師匠は京介さんの視線を感じたらしく、

また自分の座り位置に戻っていった。

 

車は国道から離れ、

村道だか県道だかの山道へと入っていった。

 

窓の外いっぱいに広がる緑の木々を

視界の端に捕らえながら、

 

俺の頭の中には『僕の見ている世界』

という単語が、

 

へばりつく様に離れないでいた。

 

師匠はいつも、

 

あんな底冷えのするような

悪意の中を生きているのだろうか。

 

伯父がまたなにか冗談を言って

CoCoさんが笑い声をあげた時、

 

師匠がふいに顔を寄せ、

囁いた。

 

「あんなに強いのは珍しい。

これも土地柄かな」

 

車が、ようやく止まった。

 

思ったより早く着いた。

 

道がよくなったのだろうか。

 

連れて来られたことしかない自分には、

よくわからなかった。

 

「さあ、降りとうせ」

 

という伯父の声に、

俺たちは外に出る。

 

見渡す限りの山の中だ。

 

目を上げると、

谷を隔てた山向こうの峰はなお高い。

 

思わず小さい頃よくやった、

ヤッホーという声をあげたくなる。

 

そして懐かしい伯父の家が、

 

ささやかな石垣の中の広い敷地に、

昔のままで立っていた。

 

それは、

子供の頃はおばあちゃんの家だった。

 

高校1年生の時に祖母が亡くなるまでは。

 

その時の滞在は、

葬式のために慌しく過ぎてしまって、

 

あまり印象が無い。

 

「ヘェヘェ」と疲れたような声を出して、

リュウが足元を通り過ぎようとした。

 

ガシッと捕まえて、

顔を両手でグリグリと揉む。

 

「こらおまえ、葬式ン時もいたか?」

 

されていることに全く関心が無い様子で、

何も言わずにされるがままになっている。

 

「あらあらあら」

 

という甲高い声とともに、

 

家の玄関から布巾で手を拭きながら

伯母が出てきた。

 

その後は、

 

久しぶりに会った親戚の子どもに対する

ごく一般的なやりとりが続き、

 

連れの仲間たちの紹介を終えて、

 

ようやく俺は伯父の家の畳の上に

尻を落ち着けた。

 

「みんな、お昼は食べたが?」

 

という伯母の言葉に頷くと、

 

「じゃあ晩御飯はご馳走にしちゃおき、

体でも動かしてきぃ」

 

と言われた。

 

それに適当に返事をし、

あてがわれた部屋に荷物を置くと、

 

とりあえず大の字になって、

 

車内でずっと曲げっぱなしだった足を

思う存分伸ばす。

 

さすがに田舎の家は広い。

 

記憶の中ではもっと広かった。

 

2階建てのその家は、

 

大昔に民宿をしていたというだけあって、

部屋の数も多い。

 

俺たち4人全員に一部屋ずつあてがっても

十分足りたのだろうが、

 

男2女2ということで、

二部屋を間借りすることにした。

 

「広れェー」

 

と言いながら師匠と二人で

ゴロゴロ転がったあとで、

 

廊下を隔てた女部屋を覗いた。

 

襖の隙間に片目を当てながら、

 

「おい」

「どっちが広い」

「おい、こっちの部屋より広いか」

 

などという師匠の声を

背中で受け流していると、

 

いきなり中から現れた京介さんに、

「死ね」と言われながらドツかれた。

 

すごすごと部屋に戻ると、

玄関の方から若い男の声が聞こえた。

 

出て行くと、

近所に住む親戚のユキオだった。

 

顔を見ると懐かしさがこみ上げてくる。

 

子供の頃は、

 

夏休みにこの家へやって来るたびに

遊んだものだ。

 

どうしてると聞くと、

 

「役場で、しがない公務員じゃ」

 

とはにかんだように笑う。

 

そういえばたしか、

俺より2つ歳上だった。

 

「じゃ、今は昼休みじゃき、

また晩にでも寄るわ」

 

ユキオはそう言って、

家にも上がらずにスクーターに跨った。

 

どうやら仕事に戻った伯父が、

 

道ですれ違いざまに

俺が来てることを話したらしい。

 

時計を見ると、

15時をだいぶ回っている。

 

ずいぶんと大らかな昼休みだ。

 

「さあ、これからどうしましょうか」

 

4人で集まって、

何をするか話し合った。

 

じっとしていると背中に汗が浮いてくる。

 

男部屋は窓を大きく開け放ち、

クーラーなどつけていない。

 

らしきものはあるが、

スイッチを押しても反応はなかった。

 

「泳ぎに行きましょう」

 

という俺の意見に、

全員が賛成した。

 

旅行に発つ前にあらかじめ、

 

水の綺麗な川があるから

泳げるような準備をしておいてください、

 

と伝えてあったので、

一も二もない。

 

少し山を下るので、

伯父の家の車を借りた。

 

向かう先に着替える場所がないので、

 

部屋で水着に着替え、

服を羽織って出かけることにした。

 

来た時とは別の白いバンの

ハンドルを師匠が握り、

 

他の3人が乗り込む。

 

蝉の声の中を車は走り、

くねくねと山道を下りていくと、

 

やがて一軒の家の前に出た。

 

「ここに止めてください」

 

川の近くには、

車を止められそうなところがない。

 

いつもこの家の敷地の端を借りて

止めさせてもらっていた。

 

車を降りた。

 

暑い。

 

蒸すわけではなかったが、

とにかく日差しが強かった。

 

サンダルに履き替えた足が気持ちいい。

 

舗装もされていない田舎道を、

 

「次暑いって言ったヤツ罰金」

 

などと言い合いながら歩いていると、

 

それなりに仲間らしく見えるのだから

不思議だ。

 

つい数時間前に、

 

「どうしてコイツがいるのか」

 

と師匠と京介さんともに、

喧嘩腰だったのを忘れそうになる。

 

わりとねちっこい師匠に対して、

 

さっぱりしている京介さんの大人の対応が、

奏功しているように思えた。

 

見通しのいい四つ辻に差し掛かった時、

ふいに俺の前を歩いていた京介さんが、

 

「アツッ」

 

と言ってしゃがみ込んだ。

 

師匠が嬉しそうに、

 

「今暑いって言った?

暑いって言った?」

 

と言いながら振り返る。

 

「言ってない」

 

京介さんはすぐ立ち上がり、

 

右足を気にしながらなんでもないと

手を振ってみせる。

 

CoCoさんが「どうしたの」と聞き、

 

京介さんは歩き始めながら

「何か踏んだかも」と答える。

 

そんなやり取りのあと、

数分とかからずに川に辿り着いた。

 

山に囲まれた渓谷の中に、

ひんやりとした水面がキラキラと輝いている。

 

昔とちっとも変わらない、

澄んだ水だった。

 

(続く)田舎(中編) 2/5

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