田舎(中編) 2/5

田舎

 

カラカラに乾いた大きな岩の上に

服とサンダルを放り投げ、

 

海パン姿になって、

玉砂利の浅瀬にそろそろと足を浸す。

 

冷たい。

 

でも気持ちがいい。

 

ゆっくりと腰まで浸かって、

川の流れを肌で感じる。

 

師匠はというと、

 

準備運動もそこそこにいきなり飛び込んで、

早くもスイスイと泳いでいる。

 

女性陣の二人は

水辺で沢ガニを見つけたらしく、

 

しばらくウロウロと

足の先を濡らすだけだったが、

 

俺が肩まで浸かる頃、

 

ようやく羽織っていた服を脱ぎ、

水着姿になって川の中に入って来た。

 

下流の方から派手なクロールで

戻って来た師匠が、

 

膝まで浸かった女性二人の前で止まり、

 

水中から首だけを出して

「うーん」と唸ったあとで、

 

CoCoさんの方に向かって

右手で退ける仕草をした。

 

「もう少し、離れた方がいい」

 

その言葉を聞いてきょとんとした後、

 

CoCoさんはおもむろに

隣の京介さんの方を見上げて、

 

ついで足元まで見下ろし、

芝居がかった様子でうんうんと頷いてから、

 

どういう意味だコラというようなことを言って、

師匠に向かって水を蹴り上げた。

 

そのあとしばらく、

4人入り乱れての水の掛け合いが続いた。

 

やがて俺は疲れて川からあがり、

 

熱い岩の上にたっぷり水をかけて

冷ましてから座り込む。

 

他の3人は気持ち良さそうに、

深さのある下流のあたりを泳ぎ回っている。

 

俺も泳げたらなあと思う。

 

完全なカナヅチというわけではないが、

足が着かない所へは怖くてとても行けない。

 

溺れるという恐怖感というよりは、

 

足が着かない場所そのものに対する

潜在的な恐怖心なのだろう。

 

なにも足に触れるはずのない水深で、

『なにか』に触ってしまったら・・・

 

そう思うといてもたってもいられず、

水から出たくなる。

 

まして今、川の真ん中に、

 

誰のものともつかない土気色をした『手』が

突き出ているのが見えている状況では、

 

とても無理だ。

 

『手』に気がついた時には

かなりドキッとしたが、

 

その脈絡のなさに、

 

自分でもどう反応していいのか

わからない感じで、

 

とりあえず深呼吸をした。

 

師匠たちの泳いでいる場所からさらに下流。

 

岩肌の斜面から覆いかぶさるような

藪が突き出ていて、

 

その影が落ちているあたり。

 

どう見ても人間の手に見えるそれが、

二の腕から上を水面に出して、

 

なにかを掴もうとするように

手のひらを広げている。

 

師匠たちは気づいていない。

 

俺は眼鏡をそろそろとずらしてみる。

 

ぼやけていく視界の中で、

その『手』だけが輪郭を保っていた。

 

ああ、やっぱりと思う。

 

そこに質量を持って存在する物体であるなら、

 

裸眼で見ると他の景色と同じように

ぼやけるはずなのだ。

 

この世のものではないモノを

見分ける方法として、

 

師匠に習ったのだったが、

 

俺は夢から覚めるための技術として

似たようなことをしていたので、

 

わりと抵抗なく受け入れられた。

 

悪夢を見てしまうと、

ほっぺたをつねって目を覚ます、

 

なんていうやり方が効かなくなってきた

中学生の頃、俺は、

 

「夢なんてしょせん、

俺の脳味噌が作り出した世界だ」

 

という醒めた思考のもとに、

 

その脳味噌が処理しきれないことを

してやれば夢はそこで終わる、

 

と考えた。

 

夢から覚めたいと思ったら、

本を探すのだ。

 

もしくは新聞でもいい。

 

とにかく、

俺が知るはずのないものを見ること。

 

そして、

 

そこに書いてある情報量が、

ページを構成するのに足りないことを確認し、

 

「ざまあみろ脳味噌」と嗤(わら)う。

 

本質からして、

都合よくできている夢なのだから、

 

本を読もうとすると、

 

それなりに本っぽい作りに

なっているかも知れない。

 

しかし、

中身は無理なのだ。

 

世界を否定したくて文章を読んでいる俺と、

 

世界を成り立たせるために

一瞬で構築される文章。

 

その二つを同時に行うには、

脳の処理速度が絶対に追いつかない。

 

そして、

 

化けの皮が剥がれたように

夢が壊れていく。

 

そうして目を覚ますのは、

俺の快感でもあった。

 

それと同じことが、

この眼鏡をずらす手法にも言える。

 

仮に途方もなくリアルな

生首の幻覚を見たとして、

 

ああ、これは現実だろうかと考えた時、

眼鏡をずらしてみる。

 

すると、

現実には存在しない生首だけは、

 

ぼやけていく世界から取り残されたように、

くっきりと浮かび上がってくる。

 

もし、脳のなんらかの作用で、

 

眼鏡をずらしたら生首もぼやけるという

潜在的な認識のもとに、

 

生首もぼやけて見えたとしても、

 

それは、その距離であれば

このくらいぼやけるという、

 

正確な姿を示さない。

 

必ず他の景色とはぼやけ具合が

食い違って見える。

 

それが、

 

一瞬で様々な処理をしなくてはならない、

脳味噌の限界なのだと思う。

 

だが、

幻覚はまた夢とも違う。

 

ああ、

コイツは幻だと気づいたところで、

 

消えてくれるものと、

消えないものとがあるのだ。

 

「うおっ」という声があがり、

 

CoCoさんとぶつかりそうになった

師匠が立ち泳ぎに切り替える。

 

「川でバタフライするな」

 

そんなことを言いながら、

CoCoさんの方へ水鉄砲を飛ばす。

 

そのすぐ背後には、

水面から突き出た手。

 

思わず師匠に警告しようとした。

 

しかし、

なにか危険なものであるなら、

 

俺が気づいて師匠が気づかない

なんてことがあるのだろうか。

 

ならばこれはただの幻なのだ。

 

俺の個人的な幻覚を、

他人が怯える必要はない。

 

けれど、

なぜ今そんなものが見えるのか・・・

 

薄ら寒いものが背中を這い上がってくる。

 

師匠はなにも気づかない様子で

再び平泳ぎに戻り、

 

『手』から離れて上流の方へやってくる。

 

俺は『手』から目を離せない。

 

肘も曲げず、

まるで一本の葦(あし)のように、

 

流れに逆らって一つ所に留まっている。

 

そこからなんらかの意思を感じようとして、

じっと見つめる。

 

ふいに、

CoCoさんが川縁で声をあげた。

 

「これって、なんだろう」

 

そちらを見ると、

 

水面からわずかに出っ張っている石に、

へばりつくように白いものがある。

 

近寄って来た京介さんが、

無造作に指でつまむ。

 

それは、

水に濡れた紙のように見えた。

 

あっ、と思う間もなく、

 

その白いものが千切れて

水に落ち流されていった。

 

指に残ったものを

しげしげと見ていた京介さんが、

 

「紙だ」と言う。

 

「目がある」

 

そう続けて、

 

残された部分にある、

僅かな切れ込みを空にかざした。

 

たしかにそこには

二つぽっかりと穴が開き、

 

それはまるで生き物の目を

象っているように見えた。

 

「よくそんなの触れるな」

 

師匠が、

ざぶざぶと川から上がりながら言う。

 

京介さんの視線が冷たく移り、

何も返さずにその白い紙を水に投げた。

 

紙は沈みそうになりながらも流れに乗った。

 

全員の視線が自然とそこに向かう。

 

下流で藪の影が落ちているあたりを

通り過ぎる時、

 

あの『手』がもう見えないことに気がついた。

 

まるで溶けるように消えてしまっていた。

 

持参していたタオルで体を拭いて、

俺たちは河原を出た。

 

冷たい川の水に浸かったことで、

 

さっきまでのまとわりつくような熱い空気が

嘘のように霧消して、

 

涼しいくらいだった。

 

けれどそれも一瞬のことで、

 

歩き始めるとすぐにまたじっとりと

汗が浮き出てくる。

 

車に戻る前に寄り道をして、

近くの商店でアイスを買った。

 

店のおばちゃんは見知らぬ若者たちを

不審そうに見ながらも、

 

棒アイスを4本出してくれた。

 

そういえば今日は平日なのだった。

 

まして、

若者の極端に少ない過疎の村だ。

 

小さい頃、

 

何度かここでアイスを買っただけの

俺の顔を覚えていないのも無理はなく、

 

よそ者が来たという程度の認識しか

なかっただろう。

 

開いてるのかどうかもよくわからない店が

3~4軒並んでいるだけの、

 

道端のささやかな一角だった。

 

食べながら帰ろうというみんなに、

 

「ちょっと待ってください」

 

と言いながら、

俺は店のおばちゃんに、

 

「この先の河原って、

最近水難事故かなにか起きましたか」

 

と聞いてみた。

 

おばちゃんは眉をひそめ、

「最近はないねえ」とだけ言って、

 

次の言葉も待たず、

店の奥に引っ込んでいった。

 

ああ、俺もすっかりよそ者なのだなぁと、

少し寂しくなった。

 

その後、アイスをかじりつつ、

元来た道を歩きながら師匠が言う。

 

「あの紙は幣だね」

 

たぶんそうだと答えた。

 

※幣(ぬさ)

神に祈る時に捧げ、また祓(はら)いに使う、紙・麻などを切って垂らしたもの。

 

神様や悪霊を象った紙人形、

とでも言えばしっくりくるだろうか。

 

この村ではさまざまな儀式にその幣を使う。

 

「なんの幣だった?」

 

遠目に見ただけだし、

 

目が二つ開いてるというだけでは

さっぱりわからない。

 

なにより俺自身が詳しくない。

 

「川ミサキか、水神かな」

 

師匠はさらっとそう言う。

 

川ミサキ(wikipedia)

日本の神、悪霊、精霊などの神霊の出現前に現れる霊的存在の総称。

 

水神(wikipedia)

水(主に淡水)に関する神の総称。

 

どこで調べたのか知らないが、

俺より知っていそうな口ぶりだ。

 

日がかげり始めた道を

だらだらと歩いていると、

 

さっきの四つ辻に差し掛かった。

 

すると、

まるでさっきの再現のように、

 

京介さんが短い声をあげて

道に屈み込む。

 

さすがに驚いて、

大丈夫ですかと様子を伺うと、

 

手で押さえている右のふくらはぎから、

薄っすらと血が流れているのが目に入った。

 

CoCoさんがしゃがみ込んで、

「なにかで切った?」と聞いている。

 

京介さんは首を横に振る。

 

切ったって、一体何で?

 

俺は周囲を見渡したが、

 

見通しもよく、

なにもない道の上なのだ。

 

カマイタチ。

 

そんな単語が頭に浮かんだが、

 

師匠が道の真ん中に両手をついて

這いつくばっているのを見て、

 

一瞬で消える。

 

目を輝かせて、

 

まるでコンタクトレンズでも探すように

土の上に視線を這わせている。

 

なにをしてるんですか。

 

その言葉を飲み込んだ。

 

周囲の空気が変わった気がしたからだ。

 

足元からゆらゆらと、

 

悪意が立ちのぼってくるような

錯覚を覚えて身を硬くする。

 

「おい、よせ」

 

京介さんは羽織っている上着のポケットから

小さな絆創膏を取り出して、

 

ふくらはぎに貼り、

立ち上がりながらそう言った。

 

師匠はそれが聞こえなかったように

地面を食い入る様に見つめ、

 

独り言のように呟く。

 

「なにか、埋まっているな、ここに」

 

心臓に悪い言葉が、

俺の耳を撫でるように通り過ぎる。

 

京介さんが師匠に近づこうとした時、

 

チリリンと耳障りな音がして

自転車が通りがかった。

 

泥のついた作業着を着込んだ中年の男性が、

不審そうな目つきでこちらを見ている。

 

同じ方角からは、

 

似たような格好をした数人が

自転車で近づいてきている。

 

四つ辻の真ん中で這いつくばっていた師匠は、

なにを思ったかピョンと勢いよく立ち上がると、

 

「腹減った。帰ろう」と言った。

 

俺は気まずい思いで道をあけて、

自転車たちをやり過ごす。

 

通り過ぎた後も、

ちらちらと視線を感じた。

 

(続く)田舎(中編) 3/5

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