トイレ 1/2

トイレ

 

大学1回生の春だった。

 

休日に僕は一人で街に出て、

 

デパートで一人暮らしに必要な

こまごまとしたものを買った。

 

レジを済ませてから、

 

本屋にでも寄って帰ろうかなと

思いつつトイレを探す。

 

天井から吊り下がった男と女の

マークを頼りにフロアをうろつき、

 

ようやく隅の方に

最後の矢印を見つけた。

 

角を曲がると、

のっぺりした壁に囲まれた通路があり、

 

さらに途中で何度か道が折れて、

 

結局トイレルームに至るまでには、

人の気配はまったくなくなっていた。

 

ざわざわとした独特の喧騒が

どこか遠くへ行ってしまい、

 

自分の足音がやけに大きく響いた。

 

ふと、

師匠から聞いた話を思い出す。

 

『あのデパートの4階のトイレ、

出るぜ』

 

オカルト道の師匠の言うことだ。

 

もちろんゴキブリや何かの

ことではないだろう。

 

僕はここが4階のフロアだったことを

記憶で確認し、

 

「よし、ちょうどいい。

確かめてやろう」

 

と思う。

 

確か師匠はこう続けたはずだ。

 

『4階の身障者用のトイレでな、

 

自分以外誰もいないはずなのに

近くで声が聞こえるんだ。

 

その声は小さくて、

何を言っているのかとても聞き取れない。

 

キョロキョロしたって駄目だ。

 

小さい音を聞くために、

どうしたらいいか考えるんだ』

 

ドキドキしてきた。

 

通路を進むと、

 

男性用と女性用のマークが

はめ込まれている壁の手前に、

 

車椅子のマークのドアがあった。

 

身体障害者用の個室だ。

 

入るのは初めてだった。

 

クリーム色の取っ手を横に引くと、

ドアは大した力も要らずにスムーズに滑った。

 

パッと明かりがつく。

 

自動センサーのようだ。

 

内側に入り、ドアから手を離すと、

自然に閉まっていった。

 

中は思ったより広い。

 

普通のトイレの個室とはかなり違う。

 

入り口から正面に洋式の便座があり、

右手側には洗面台がある。

 

その洗面台の上部に

取り付けられている鏡を見て、

 

少し違和感を覚える。

 

鏡の真正面に立っているのに、

自分の顔が見えない。

 

胸元が見えているだけだ。

 

よく見ると、

鏡は前のめりに傾けられていた。

 

なるほど、

車椅子の人が使うことを想定して、

 

低い位置から正対できるように

なっているらしい。

 

顔の見えない鏡の中の自分と

向かい合っていると、

 

まるで鏡に映っているのが、

 

見知らぬ誰かであるような気がして

気持ちが悪かった。

 

僕は鏡から目を逸らし、

便座に近づく。

 

手すりが壁に取り付けられ、

 

壁から遠い側には床から丈夫そうな

パイプが伸びている。

 

グッと体重をかけて、

 

手すりとパイプを両手で掴みながら

体を反転させる。

 

ストン、と便座に腰を落とす。

 

静かだ。

 

換気扇の回る振動だけが伝わってくる。

 

心霊スポットだからって、

いつもいつも『出る』わけでもないだろう。

 

ましてこんなに明々とした個室で、

しかも昼間っからだ。

 

残念に思いながらも少しホッとした僕は、

 

ついでだからとズボンを下ろし、

用を足した。

 

水を流すボタンはどれだ?

 

壁側を探ると、

赤いボタンが目に付いた。

 

危うく押すところで思いとどまる。

 

『緊急呼出』

 

そんな文字が書いてあった。

 

危ない。

 

緊急時の呼び出しボタンらしい。

 

紛らわしい所に置くなよと

文句を言いそうになるが、

 

少し考えて合点がいく。

 

体調急変時のボタンなのだから、

手が届くところで、

 

かつ目立つ場所にないと

いけないのだろう。

 

『洗浄』のボタンをその近くに見つけて、

押し込む。

 

ザーッという水が流れる音がして、

そしてまた静かな時間が戻ってくる。

 

が・・・

 

立ち上がろうとした瞬間、

僕の耳はなにかの異変を捉らえた。

 

・・・ボソ・・・ボソ・・・ボソ・・・

 

何か小さな声が聞こえる。

 

瞬間に空気が変わる。

 

重く、ねっとりした空気に。

 

僕は頭を動かさず、

目だけで室内を見回す。

 

天井、照明、換気扇、ドア、

洗面台、鏡、壁、手すり、床。

 

なにも変化はない。

 

音は目には見えない。

 

ボソ、ボソ、という、

誰かが囁く様な音は続いている。

 

ここから逃げたい。

 

けれど、

足が竦んでいる。

 

そして、足が竦んでいること以上に、

僕はその声の正体を知りたかった。

 

『キョロキョロしたって駄目だ』

 

師匠の言葉が脳裏を掠める。

 

僕は考える。

 

誰かの口が動いているイメージ。

 

イヤホンから何かが聞こえるイメージ。

 

ラジオのスピーカーの無数の穴から

それが聞こえるイメージ。

 

そうだ。

 

音はいつも『穴』から聞こえてくる。

 

(続く)トイレ 2/2

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