クリスマスイヴの日に来店してきた二人

グラス

 

もう今から15年以上前、俺はベイエリアのとあるカフェでボーイのバイトをしていた。

 

その店は雑居ビルの最上階にあり、窓からは東京湾の夜景が見れた。

 

当時はネットで店の情報を探るなんてものはなかった時代。

 

だから、知る人ぞ知る大人の隠れ家的なカフェだった。

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二人が過ごした幸せな時間

その日はクリスマスイヴだった。

 

いつもは常連が多い店も、その日だけは初めて来店するカップルで賑わっていた。

 

たしか夜8時を回った頃だったと思う。

 

女性が一人で来店した。

 

年齢は30歳前後、髪は長めでプラダのバックを持っていて、とても雰囲気のある女性だった。

 

なにより、抜けるように白くて綺麗な肌の女性だった。

 

「いらっしゃいませ。何名様ですか?お好きな席へどうぞ」と接客。

 

その店のバーテンは二人ともイケメン。

 

それ目当てに一人で来る女性は珍しくなかった。

 

なのでバーテンのいるカウンターに行くんだろうなと見ていると、予想を裏切り窓際のカウンターへ。

 

メニューを持って行くと、「待ち合わせなのでオーダーは後からで」との事で、俺は持ち場に戻った。

 

少しずつ夜も更けてくると、カップルが一組また一組と帰って行った。

 

窓際の女性の待ち合わせ相手がまだ来ていないのに気づいたのは、夜10時を過ぎた頃だったと思う。

 

その頃には客もまばらだった。

 

カウンターに行き、オーナーでもあるチーフバーテンダーに「あのお客さんの連れまだ来ないっすね」と話した。

 

オーナーだけじゃなく、他のボーイらもみんな気にしていた。

 

というのも、その女性は待つことが当たり前のように、座ったままずっと窓の外を見ている。

 

普通ならカウンターに肘を付くとか座り位置を直すとかするのに、ずっと同じ姿勢で同じ目線。

 

その横顔は、どこか寂しげでもあり楽しそうでもある。

 

その雰囲気は店の者みんなが声をかけ難くするのに充分だった。

 

それから少し時間が経った頃、他のボーイが少し慌て気味にやってきた。

 

「あの窓際の女性が居ないんだけど」

 

まさかと思い、店を見渡しても姿が見えない。

 

「トイレじゃないの?」と訊いてみたのだが、そこにも居ないと。

 

一体いつ店を出たんだ?となった。

 

すぐにチーフバーテンダーへ報告。

 

「きっと待っても来ないと分かって、こっそり帰ったんだろう」と言う。

 

オーダーを取って無かった訳だし、イヴに振られるなんて可哀相な女性だなという事でその場は収まった。

 

その時、一人の男性が来店した。

 

その男性も見たことのない人だった。

 

いつものようにお好きな席へと言うと、その人は先程まで女性が座っていた窓際のカウンターへ。

 

俺はメニューを持ってオーダーを取りに向かった。

 

「モスコミュールとローゼスのプラチナをシングルで」

 

忘れもしない、このオーダーだった。

 

モスコにローゼス?変な取り合わせだな、とその時思った。

 

もしかして、さっきまでここにいた女性が待っていたのはこの男なのかな、と。

 

オーダーを告げた時、チーフに言った。

 

「あの人、もしかしてさっきまでいた女性が待ってた男ですかね?」

 

「いや、どうかな。もし待たせたならもう少し慌てた素振りあってもいいだろう。こんな時間での約束ってのも変だし」

 

確かにそうだった。

 

もし遅刻して相手が居ないのなら、店の中を見渡すだろう。

 

店の人間に訊くのも普通だ。

 

もうすぐ日付が変わるこんな時間に待ち合わせというのも変だ。

 

チーフの答えに半ば納得した俺は、男性へオーダーされた酒を持って行った。

 

二つとも飲むと思っていた俺は、男性の前にモスコとローゼスを置いた。

 

すると、その男性はモスコを誰も座っていない隣の席の前にすべらせたのだ。

 

そして、置いたままのグラスに軽く乾杯をしてローゼスを口に含んだ。

 

何とも言えない悲しそうな表情を浮かべながら、そしてその表情のまま窓からの夜景を見ていた。

 

「どうしちゃったんですかね、あの人。なんか振られたって感じでもないし」

 

そうチーフに話した。

 

「イヴだからって幸せな奴ばかりじゃないってことだろ」

 

チーフの答えだった。

 

日付も変わってしばらくすると、店にはその男性しか居なくなった。

 

相変わらず、どこか寂しげに夜景を見ながら一人で飲んでいた。

 

チーフがカウンターから出てきて、その男性のところへ。

 

「もうお客様しか居ません。良かったらカウンターへどうですか?お話しながらの方がお酒も美味しいですよ」

 

男性は少しだけ恐縮しながらカウンターにやってきた。

 

最初は普通の世間話だった。

 

店にある酒の話とかプロ野球の話とか。

 

そのうち酔いも回ってきたのであろう男性が、ぽつりぽつりと語り始めた。

 

去年の春に結婚した。

 

その年のイヴにこの店に来て、あの席で二人並んで飲んだ。

 

奥さんは結婚して初めてのイヴを過ごしたこの店がすごく気に入り、「来年も来よう」と言った。

 

来年だけじゃなく、この先もずっとイヴはこの店で過ごそうと言っていた。

 

とても幸せな時間だった。

 

でも、その奥さんが白血病になった。

 

もうどうしようもないくらい進行が早くて、治療が追いつかなかった。

 

抗がん剤の副作用で苦しむ奥さんに、「今年もあの店に行くんだろう、頑張れ」と言った。

 

奥さんも、「あのお店に行きたい」と言っていた。

 

しかし、先月の初めに亡くなった。

 

今日も部屋で一人泣いていた。

 

街に出て幸せそうな奴らを見るのが耐えられないから、酔って寝てしまおうと思った。

 

それで家にあった酒をコップに注いだ時、不意にこの店に行こうと思った。

 

なぜか分からないけれど、急にこの店に来たくなった。

 

それでタクシーを飛ばして来たんですよ、と涙を浮かべながら話してくれた。

 

その瞬間、全てが分かった。

 

俺だけじゃなく店の人間全員が。

 

思わず訊いてしまった。

 

「あの・・・奥さんは髪の毛がこんな感じで身長がこれくらいでプラダのバック持ってますか?」と。

 

「その通りですけど、どうして?」

 

「お客様が来られる前、あの席に座っていた女性がそうだったんです。待ち合せの相手が来なかったので、てっきり振られて帰ったのかと」

 

「そうか、先に来てたんだ。もう少し早く来たら会えたのに」

 

そう言って泣き崩れた。

 

すると、チーフが言った。

 

「きっと、来ても会えなかったと思います。なぜなら、待っていた女性は寂しいというより、どこか安らいでる表情でしたから。きっとお客様と過ごした時間が幸せだったからでしょうね」

 

俺もそう思った。

 

きっと早く立ち直って欲しいからこの店に来させ、そして痛みや苦しみから解放された姿を見せ伝えたかった奥さんの愛なんだろうと。

 

(終)

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