夜山での野営中に聞こえてきた奇妙な足音
これは昔、まだ私が大学生だった頃の話です。
当時はよく、一人で山に何日も篭っていたものです。(今は恐ろしくてとても出来ないような気がします。よく一人で夜とか過ごせたよなあ・・・と)
それは中国山地を縦走していた時のこと。
山に入って2日目、その日は朝から雨でした。
雨の中で山歩きするのは、意外と体力を消耗するものです。
へこたれた私は、いつもより早目に野営することにしました。
ちょうど良い感じに張り出した岩場を見つけたのです。
バシャバシャバシャ
岩の下に入れば、雨風を凌ぐのに十分な広さでした。
インスタントラーメンと缶詰、カロリーメイトの簡単な食事を済ませる頃には、雨天のせいか、すっかり暗くなっていました。
ほっと一息ついた私は、早々と眠りについたのです。
しかし、ふと夜中に目が覚めました。
反射的に時計を確認したら、まだ1時を少し回ったところです。
「何・・・?」
どうして目が覚めたのか。
覚醒しきっていない頭で、しばし考えていると・・・。
何か、音が聞こえます。
バシャバシャバシャ。
間違いない、この雨の中、誰かがこの岩場の近くで歩き回っている!
私が最初に覚えたのは恐怖でした。
てっきり熊か何かだと思ったのです。
しかし音を聞いているうちに、熊でないような気がしてきました。
熊でなかったならば、一体何だ!?
思い出してみると、軽いパニックに陥っていた気がします。
バシャバシャバシャ。
バシャ。
バシャバシャ。
水を跳ね飛ばす音は、まだ続いています。
雨音と足音を聞きながら、まんじりと過ごしました。(まんじり = とろとろとちょっと眠るさま)
20分ほど経っても、音は去っていきません。
そのうち、私は恐れとはまた別の思いを抱き始めました。
何か正体の分からないものに対する苛立ち。
ある意味、怒りのような思いが段々と私の中に浮かんできたのです。
今、冷静に考えると、これもまた恐怖の別の形なのかもしれません。
ついに雨の中、足音に向かって行くことにしました。
もうかなり極限まで思い詰めていたのでしょう。
我ながら恐ろしい。(とても今の自分には出来ません。若かったなあ・・・と)
しかし、近づくと足音は遠ざかっていきます。
そしてこちらが岩場に戻ると、また引き返して来るのです。
何度か繰り返しているうちに、足音の雰囲気が変わってきました。
何というのか、切羽詰った感じを受け始めたのです。
もう本格的にマズイ。
そして、ヤバイ・・・。
理由は原因も分からないが、ここはよくない場所らしい。
そう感じた私は、思い切って撤収することにしました。
夜の山歩きが無謀なのは承知していますが、もう我慢できません。
荷物をまとめ、ヘッドランプの明かりを頼りに歩き始めます。
案の定、足音もゆっくり後から付いて来ました。
本当にもう泣きそうです。
足音に追い立てられるようにして歩き続けると、いつしか開けた場所に出ました。
もうだいぶ歩いているはずで、私はヘトヘトになっていました。
その時に気がつきました。
後ろの足音が止まっている。
どうやら足音の主は、私をここへ導きたかったようです。
まさかここで遭難した人の『何か』じゃないよな・・・。
そんなことも頭に浮かびましたが、疲れ切った私は足音がしないのをこれ幸いに、そこで野営してしまいました。
もうくたびれ果てていたのです。
その後はもう何の怪異もなく、翌朝無事に山を降りられました。
朝になってから、おいおい連れて行かれたらどうしよう?とか色々考えたのですが、そういうことはありませんでした。
実際、体験している時よりも、後で思い出したりする時の方が恐かったです。
帰宅して1週間後、登山仲間とこの話をする機会がありました。
そして、そこで妙なことを聞いたのです。
私がこの体験談を話そうとし始めたのですが・・・。
「この前、○○○山に入ってたんだけど、」
「ああ、何でもかなり崖崩れがあったらしいねえ」
「えっ?」
「南斜面の岩場が大きく崩れたらしいよ。見えた?」
ひょっとして、私が雨宿りしていたあの岩場も・・・?
なぜか確認する気にはなれず、しばらく山には入りませんでした。
しかし、あの夜に崩れるような音は聞いてないのです。
でも、もしそうならば、あの足音は私を助けてくれたのでしょうか。
一体何が、誰が、足音を立てていたのか。
確認に行っていないので、もう真実は分かりません。
今でも真実を、なぜかそんなに知りたいとは思わないのです。
奇遇にも、つい先日、似たような体験をした人の話を聞けました。
この人の場合は、丹沢の山中だったようですが。
やはり地崩れする場所から追い立てられたらしいです。
山の中には、今でも神様がいるのかもしれません。
ただ、いつもこちらを助けてくれるとは限らないようですが。
私の数少ない、ちょっと不思議な体験でした。
あとがき
もし、あの足音が起こしてくれなかったら、目も覚まさずに涅槃逝きだったかもしれません。
※涅槃(ねはん)
一切の煩悩(ぼんのう)から解脱(げだつ)した、不生不滅の高い境地。転じて、釈迦(しゃか)や聖者の死。入滅。
でも、どうして助けてくれたのか。
怖いというよりは不思議な体験でした。
何と言いますか、山にまつわる話というのは、怖い類の話より不思議な類の方が多いような気がします。
(終)