濃霧の山中で見た不思議な光景
これは、ずっと前の山行で体験した話。
濃霧の山中を1人で歩いていると、ある場所で吊り橋に差し掛かった。
そこである光景が目に飛び込んできて、俺は思わず立ちすくんだ。
不思議にも恐怖はなかったが、明らかに『この世のものではない何か』が関係している様子だったからだ。
その光景とは、吊り橋のこちら側の袂(たもと)のほんの少し手前、特に何ということもない空間から、人間の子供がいきなり湧いて現れ、それが吊り橋を渡って向こうへ歩いていくのだ。
子供は1人だけでなく、次から次へと何人もが出現していた。
吊り橋の上には、おそらく10人以上が歩いていたと思う。
その子たちは山に来る時のような身なりではなく、夏の街場でごく普通に見かけるような服装だった。
それに、その子たちは皆、無言で歩いていた。
霧はものすごく深く、吊り橋は途中から霧に隠れて向こう側が見えず、谷底もまったく見通せない状態。
すると、吊り橋を歩いていた子供の1人が、なぜか歩くのをやめて、その場にしゃがみ込んだ。
その様子を見ていると、すぐ後ろを歩いていた子が、そのしゃがんだ子を避けもせずに素通りした。
つまり、しゃがんでいる子はそのしゃがんだ姿勢のまま、また歩いてきた子もそのまま真っすぐに歩きながら、2人の体は完全に重なったにもかかわらず、どちらにも何事も起こらないまま素通りしていったのだ。
その時、やや強い風が吹いた。
同時に、空が少し明るくもなった。
(あれ?霧が晴れるかな?)
頭の片隅でチラッとそう思った時、吊り橋でしゃがんでいた子がやにわに立ち上がって走り出した。
そして、手前の橋の袂で子供がまた1人出現したかと思うと、その子も吊り橋を走って渡り始めた。
その子が走り出す時、「早くしなきゃ戻れなくなっちゃう」と言ったような気がした。
2人の子が吊り橋を走っていく。
霧は急速に晴れようとしていて、空もどんどん明るくなっていた。
そして霧が薄くなるにつれて、その子たちの姿も薄れていく。
すると、その子たちのどちらかが、唐突に「イヤだよ」と言った。
子供たちの姿がほとんど消えかかった時、「忘れないでね」と、またどちらかの子が言った。
ただ、その最後の言葉は俺に向けたものだということが、なぜかハッキリとわかった。
直後、子供たちはすぐに消えた。
霧も消えた。
霧がすっかりなくなってみると、さっきまで霧に隠れて向こうまでは見えなかった吊り橋の長さが、なぜかまるっきり短かくなっていた。
それに気づいた時はビックリしたが、「一体、あの霧の時にこの吊り橋はどこに通じているのだろうか?」などと考え、ゾッとした。
また、子供たちの存在は、気配さえもなくなっていた。
俺は生きた心地のしないまま、脇目も振らずにその吊り橋を大急ぎで渡った。
~ 以下、後日談に続く ~
後日談
この不思議な体験は、俺にとっては強烈な印象で、ずっと忘れられなかった。
そこで、その6年後、意を決して再び同じ場所を1人で訪ねてみた。
ちょうど同じ季節、同じ時期に。
ところが、どう考えてもソコだったとしか思えない場所には、吊り橋どころか過去に吊り橋があったような形跡さえ無かった。
それだけでなく、そもそも山道がそこで川を渡るようになってもおらず、ずっと下の方へと、そのまま谷の斜面に続いていた。
そして、山道が川面と同じくらいの高さになる辺りで、川の浅瀬を歩いて対岸へ渡れるようになっていたのだ。
俺は愕然としたが、記憶とは全く違う事実をにわかには受け入れ難く、あまりにもおかしいと思った。
・・・なので、荷物を置いて身軽になり、その山道が川に沿っている区間を3往復もうろついて確かめてみたが、その吊り橋や吊り橋の跡などは、やはりどこにもなかった。
また、対岸の谷の斜面も登って行って、吊り橋があったはずの辺りを確かめようとも思ったが、その斜面には道がありうるような地形でさえなく、普通に歩くのも困難だったので、結局は断念せざるを得なかった。
しかし、そうだとすると、あの時の俺は一体どこを通って下山したのだろうか?
今でも狐につままれたような気分のままだ。
(終)